旧遍路宿・坂本屋 2024オープンしました
2024年 03月 05日
昨年12月末、内輪の餅つきを最終行事に
冬季閉館しておりました旧遍路宿・坂本屋は
3ヶ月の冬眠から目覚め本日より開館しました。
当面、日曜日のみのお接待所となりますが、
土佐街道三坂峠を登り下りのお遍路さん、
春の山歩き途中の皆さま、近隣の農家さん、
どうぞお気軽にひと休みなさってください。
坂本屋メンバーさんは公民館事業でもいろいろ役職を兼ねて活躍中なので、
今日の坂本屋は地元の鍬田さんと校区外の門前の二人でお茶当番です。
08:20 やや出遅れて自宅スタート。
いつもの網掛大師堂は打ち戻り参り?と決め込んで山道爆走。
08:45 坂本屋現着。
当番相方が到着までに恒例の三坂アルプス「定点観測」。
いつものように朝陽を受けて画像は今朝も逆光 ^0^
09:00 引き返してみると相方の鍬田さんが玄関雨戸開聞中。
外気温1℃! 「冷い!」
何はともあれ囲炉裏の火付けをかって出た(鬼平公認)。
令和6年坂本屋オープンをお大師像にご報告して、
道中安全の見守りをお願い致しました。
このお大師像は2018年12月1日
「大勢のお遍路さんがひと休みされる坂本屋に
お大師がお座りでないのは寂しかろがな」と
47番霊場八坂寺ご住職がご寄贈、
自ら開眼供養下さったお大師さまです。
販売されるとのことだったので、
会員の小内さんに自家用10個を予約したところ
なんと朝一番に配達して貰いました。
あんこたっぷりの大判焼きは
小内さんからお茶当番に一つずつ『差し入れ』!
我が家の1個の半分は女房の腹へ直行、
これがまた美味いんぞなもし。
などと、相方さんと炉端でお茶を飲んでいるとお遍路さんがお立ち寄り!
玄関の縁台では寒いので(自称)VIPルームへご案内。
兵庫さんの「当世お宿談義」が意味深いお話しで納得!
49番浄土寺さんで足止めして電車で市内へ出てBH泊、
晩飯は外食の由、旅慣れておられました。
11:30 逆打ち・今治さんはお立寄り。
「46番浄瑠璃寺さんからここまでの登り一方で膝が笑いよります」と笑顔。
膝が泣くのはここからですから・・・ゆっくり休んでください。
お話しによると、お宿は峠の向こうの「桃李庵」さんへ予約済みの由、
台風や大雨のあと、峠からの下り道を点検して
連絡をいただく庵主・久万五郎さんの顔が目に浮かびます。
11:50 今治さんご出立。
今から行くと「早すぎる!」と叱られるかなぁ~と呟きながら。
話題の豊富なお遍路さんで、
お宿事情、足並みの揃わない納経時間と料金改正etc
一つ一つがごもっともなお話で勉強になりました。
「四国を歩くとたくさんの人に親切にして貰うので、
さんざん考えて、ワシが住んどる町の神社お守りにした、
ご縁じゃから、お二人にも上げようわい、車はどれぞな?」
言うが早いか、私の車へ乗り込んでルームミラーに
括って貰ったのがこの紅白の布。
白い布には「国府宮(こうのみや)」
赤い布には「なおい(儺追)」と染め抜いてあります。
※難を追う(厄を落とす)という意味らしい
その晩、出会ってからもう11年になる
お遍路つながりの愛知の友達に由緒来歴を訊ねてみた。
なんと日本三大裸祭りの厄除けご利益甚大なるお守りとの由。
ここでは書き切れない相当伝統のある神社の儀式の様子です。
是非とも「国府宮はだか祭り」で検索してみて下さい。
伝統の重みとオトコ達の熱気が伝わり厄除けご利益間違いなし。
差し上げたお守りの文言は(写真と異なり)
「山川草木悉く仏性あり」と拙筆。
「山川草木悉有佛性」と
俳人・河東碧梧桐がひとひねりした一句らしい。
門前の小僧お気に入りの句です。
12:20 「やれいっぷくできた、元気が出た」と愛知さんご出立。
楽しいお話しと国府宮の厄除けお守りをありがとうございました。
私、「今日は文化祭とWっとるけん3時までやる気で来とるゼ」
見計らったように玄関から文化祭取締役の三神さんが現れて
「門前さ~ん、文化祭も売り手に余裕ができたけん交替に来た」
二人に返す言葉もなく素直に甘えて下山することになりました。
12:50 今朝、出遅れて朝参りをスルーしたので帰り道に網掛け大師堂へ打ち戻り参り。
順打ちで山を下って来られたお遍路さん目線には大師堂しか見えません。
右からクジラ石と大師堂が並んで、一番左手の建物は遍路宿の名残りと聞きました。
長老の話しでは大師堂を中心に数軒の遍路宿があったとか。
これも「ご縁」なのでしょうか、
以来、坂本屋お茶当番の日のお参りを欠かしたことはありません・・・
お接待の手伝いに行って、お遍路さんからお守りをお接待されたり、
お茶当番仲間の労わりが嬉しかったり、今回の当番も充実した楽しい一日でした。
たった一個の大判焼きを爺と婆が分け合って食べたという涙の老々介護日記に
お付き合いありがとうございました。
2月吉日お立寄りの江戸品川のお遍路さんへ
郵便受けへの納め札、確かに拝受いたしました。
平日だったのでしょうか?
坂本屋は目下、毎日曜日だけ開館しております、
またご縁があるといいですね。
この先も道中ご安全にお参りお続けください。
旧遍路宿/坂本屋 2024オープンのお知らせ
2024年 02月 28日
三月より毎日曜日に開館する旨、お茶当番シフト表が届きましたので
お遍路さんや春の山歩きをご計画の皆さまにお知らせいたします。
坂本屋は会員30余名で6班を構成し、輪番制で当番出仕しております、
勤務や地区の諸行事のため万一休館しておりましたらご容赦願います。
おもてなし遍路道ウオーク 2024白書
2024年 02月 24日
四国遍路道1200㌔を約10㌔平均に区切って
参加者四国四県で1万人(主催者目標)で歩き繋ぎ、
コース随所に参加者をもてなすお接待所を設けて、
へんろ道の通行安全と道しるべの点検が行われました。
久万高原町~三坂峠~丹波12㌔の休憩接待所として対応、
有志10名が参加しました。
(当記事中のロゴはイベントのホームページより借用しました)
霧雨模様の中、三坂峠を登り下りされるお遍路さんの道中安全と
遍路道点検行事参加者の無事故と空模様の好転をお願いしました。
クジラ石の口元へお賽銭が納められています
会長が玄関雨戸を開けて開館支度中、出遅れました、ご容赦・・・
09:00 会長発LINE発の参加呼び掛けに呼応して10人の善男善女に出仕して貰いました。
ほどなく峠からお遍路さんがお立ち寄り。
熱いお茶を喜んでいただきながら
「石畳に重なった枯れ葉に足を取られて滑りそうで難儀した」と仰る、さもありなん。
※イベント参加者には
事前に特製マフラータオルが配送され身に着けて歩くことになっており
参加者相互には判りますので、お遍路さんにはことさら話題になりませんでした。
坂本屋は申し込み締め切り後の「自由参加」なので目印タオルもありません・・・
今からなら51番石手寺さんのお納経も間に合うと思いますよ。
「ご遠方からですか?」
「いえ、香川からです、順打ちで五順して今回初めての逆打ちです」
「逆打ちは道しるべも三分の一って聞きますが、やっぱり少ないですか?
「時々不安になります」。
熱いお茶を啜って「トイレいいですか?」どうぞどうぞ!
※イベントのことは直前の埼玉さん同様特別話題にはなりませんでした。
10:06 逆打ち讃岐さんご出立。
さすがに歩き慣れた足運び、ゆっくり ゆっくり 一歩 また一歩
当番の日にお見送りした個人お遍路さんの延べ人数です
(団体お遍路さんはツアー元の許可が要ると思い no count)
農家さんの作業小屋の奥に連なる三坂アルプスは霧の中、さっきのお遍路さん大丈夫かなあ~
「何よりのお接待になろうがな」。
参加者3グループ33人の内2組は
「道の駅さんさん」を9時スタート予定とのこと、
三坂峠10時として11時前後には坂本屋かいな~?
イベント参加者到着まで坂本屋有志皆さんは、
冬休み中、母屋前の側溝の鉄格子蓋(グレーチング?)を取って溝に溜まった枯れ葉の大掃除、
ワケあってテキパキ動けない門前の小僧、肩身が狭い・・・
11:00 到着予定時刻なのだが、イベント参加者は影も形も見えません。
大会事務局携帯へは怪我などの緊急事態以外は使用禁止と書いてあったような気がする・・・
県内の窓口団体へ電話してみるが事務所全員このイベントに参加?して通じない、
11:50 遅いのは構わないが、万一事故でもあったらと余計な心配・・・
坂本屋有志女性がイベント参加者の友達を知っているとのことで携帯で問合せれ貰った。
※結末詳細は個人のことなので書きませんが、事故ではなくて、よかった よかった。
が、ほかの参加者グループの足音もない。
12:05 この行事関係者と坂本屋会長のメッセンジャーを務めた門前の小僧、いたたまれない。
『朝9時から12時まで」の約束ですから閉めましょう!』
手分けして閉館仕舞い。お接待所お終い。
役員さん各位は囲炉裏火が消えるまで残って
3月3日の地区文化交流会の打ち合わせ会を開く由、
校区外の門前の小僧は一足先に下山。
「道の駅スタートのグループ名は不明だが参加者10名、今、坂本屋前を通過しました」。
ほか参加予定の20名さんは天候都合で参加中止だったでのでしょうか?
事故などでなければ、やれやれです・・・
(門前の小僧の個人的感想です)
参加者目標1万人の規模で行われる事業ですから、主催者側のご労苦お察しいたします。
当日の中止・延期などすべて現地・現場一任は結構だと思いますが、
やはり、イベントの中心となる事務局と参加者との連絡手段設定は必要ではなかったでしょうか?
金盛 弥氏の版画展鑑賞と南伊予ぶらぶら
2024年 02月 08日
この日記は前稿「お接待 されどお接待」から続きます⤵クリック
金盛 弥(かなもり わたる)「四国歩き遍路の旅」版画作品展
私も愛媛県歴史文化博物館を訪ねて金盛氏の版画を鑑賞して帰りました。
ただの一枚も無いのか! と叱られそうなので、お年玉に頂いた金盛氏の「版画集」に
2014年秋以来、折にふれて恵送いただいた版画作品を机にならべて私宅特別個展です。
四国霊場八十八ヶ所山門と大師堂各88
別格霊場20 番外史跡26
ほか遍路道小景29 高野山町石道14
総計177枚の版画と制作中の金盛氏のパネル等に圧倒されました。
是非、不定期でも数年に一度作品展を開催して欲しいものです。
遍路の「一歩一歩一歩、一段一段」は
版画の「一彫一彫、一摺一摺」と共通するところがある・・・と。
駐車場からゆっくり歩いて、仁王門でナマった足に鞭打って更に本堂への石段を登ります。
四国霊場八十ハヶ寺中、赤褐色の石州瓦を葺いたお寺さんはここだけではなかったかと?
遥拝の屋根の雪がドサッと音を打って落ちていました
本坊(左)仁王門(右)の赤褐色の石州瓦に白い雪
2010年1月8日、岩屋寺を打ち戻り、千本峠を越えて三坂峠から松山へ下った日以来の雪の日参りでした。
山陰地方や広島県北に多く見られる
赤褐色の石州瓦はこんな鮮やかな色をしています、
風雨、風雪に強く屋根に積る雪解けも早いとか?
瓦は黒か銀鼠色だと思っていた門前の小僧
初めてこの瓦を見たとき、
「お洒落な瓦やなあ~」と思ったことです。
ほろ酔いで下車したら「もう一杯」気分になりそうです。
約1m×1,5m四方の大きな「愛の火鉢」が置かれ
☜ 写真は「広報・せいよ」
2015年1月号よりお借りしております。
2021年10/1、JR四国の赤字経営の改善方針で駅は無人化されてしまいました。
ちょっと残念・・・ (文責:当ブログ管理人)
「JR伊予岩城駅」から徒歩数分の田んぼの中にある「稲わらマンモス」。
(2024/01/27撮影)
いつの事だったか記憶に定かでないのですが(
・西予市が高さ7mの親マンモスは建築基準法に違反するとして撤去を求めた。
・何の何処が建築物じゃと小僧や村人町人が騒ぎ始めた
・心あるプロカメラマン氏もfacebookで苦言を述べられ数日FBは炎上しました
・地元でも存続要望の声が大きくなり西予市は
「建築基準法に規定する工作物に該当しない」とコメントを発表した。
・撤去の危機から一転、存続が決まって一番ホッとしたのは地元の皆さんとマンモス象だったに違いない。
・西予市様、お情け深い「大岡裁き」ありがとうございました(門前の小僧私見)。
2010年に「ふる里笠置峠ウオーク」というイベントがあって往年の旧道を
岩城村から笠置峠を越えて双岩村釜倉の集落まで歩いて2時間ほどかかったのですが、
今はトンネル2本と橋1本の新県道をひとっ走り、岩城から10分足らずでウチの双岩村。
愛媛県の南予地方では欠かせない調味料?『みがらし』を買いに村の商店へ寄りました。
『みがらし』とは、甘口味噌・麦味噌と辛子に酒、酢、砂糖を加えて混ぜたもので
「ふかの湯ざらし」や「冷や奴」「おでん」には無くてはならない私の嗜好調味品なのです。
店へ入って「ば~ば(婆)、みがらしあるかな?」
「ば~ば」がいつも叱る、
「一つしか年が違わんがやケン「ば~ば」と呼ばれん」
「悪かった・・・3つ下さい、ば~ばの店のみがらしでないといけんがよボクは」
「信ちゃん、お前は昔から優しい子やった、ば~ばは好きよ、3つで750円」
一つでもオマケは付けてくれんかった。
代替わりしたが、2代目は高校の同級生。
冬休み、郵便局の年賀状アルバイト時代に食べたのが出会いの始まり。
雪がチラチラ降る日の「ちゃん定(ちゃんぽん定食)」の味は忘れられんのです。
丸山へ行く前に高校時代の新聞部々長の携帯鳴らして
「もんとるがえけんどお茶飲まんかな」。
二つ返事で決まった新聞部編集会議場は丸山の近くの喫茶店、
同級生はイイ! 部長が連絡してくれて3人も寄ってもらった。
議題に腰が痛いとかクスリとか病院とかの話が混じり始めた歳だが
「みんな元気で励もうぜ!」で編集会議解散。
急な呼び出しに付き合ってくれてありがとう!
◇金盛氏の版画展と
南伊予ブラタモリもどき日記終わります。
長い日記にお付き合いありがとうございました。
(追伸)
1/30に新聞部各位が歴博館へ金盛氏のお遍路版画展を観に行ってくれたらしい、
「お遍路版画展は1/28までやったゼ!」と叱られた・・・すまん、罪は償う・・・
お接待 されどお接待
2024年 02月 07日
思うところあって今回は関西在住の「おしどりお遍路さん」とのひと時の出会いから
今日に至るまで続いた10年に亘るお付き合いの想い出を書き綴ってみたいと思います。
おかしな日記の書き方ですが、
コトの経緯を有態のまま綴ってみたいと思いますので年月日が飛んだり戻ったりします。
あれは
2018年10月20日(土)ことでした。
(以下の記事は、当日の「坂本屋日記」から抜粋し転載いたします)
三坂峠へんろ道には木守柿が残り、同じ当番班の長老に焚いてもらった囲炉裏火が心地よい坂本屋の朝でした。
今に思えば、
あの頃はコロナ禍もなく、お遍路さんの越境往来も自由で
朝8時前に自宅を出て、道中の網掛大師堂を朝参りして
坂本屋へ着くまでに細い県道ですれ違った順打ちお遍路さんが五人、
アマ無線友達と手作りした「道中安全お守り」をお接待しながら山岳ドライブ?
先をお急ぎの様子なので「お気をつけて」とお声がけのみ。
11:50 ひと休みされた名古屋からのおしどりお遍路さんを見送って
11:55 入れ替わるようにおしどりお遍路茨木さんがお立ち寄り。
「何年ぶりになるかなあ~坂本屋さんが開いていてよかった、
昼弁当食べたいのですがいいですか?」
「どうぞどうぞ、よろしければ炉端で一緒に食べませんか?」
VIP囲炉裏部屋(厨房)へご案内、
「まあ~珍しい!」と囲炉裏をご覧になった奥さんに喜んで頂きました。
ご主人が丸太イスにお座りになるやいなや、
「私は版画が趣味で前回ひと休みした坂本屋を版画にして来ましたので差し上げます」。
私の封筒に入っていた作品がこれ! なんと「坂本屋」、めちゃくちゃ嬉しかった。
お二人が交替で幾度となく振り返られてお礼をされるので恐縮したことです。
13:27 自転車で三坂峠目指して逆打ちお遍路さん。
「いっぷくして行きませんか?この先キツイですよ」
と、余計なひと言?
「しんど~なったら引き返します」
御意!
午後3時の閉館まで下山ナシ、
ご無事で峠をクリアーされたご様子、安堵!
本日3組目のおしどりお遍路さんひと休み方々やや遅めの昼食
14:20 腹ごしらえを終えて埼玉さん夫妻ご出立。
茨木さんとのご縁は昨日で終わりませんでした。
遡ること凡そ10年・・・
2014年04月05日(土)の出来事
早朝からHDDのアルバムを開いてみました
なんとその日は私の知り合いのオカリナ演奏お接待もあって押し掛けお茶当番^0^
⤵クリック
2014年4月5日、確かに夫妻はひと休みされて
昨日の三組のおしどりお遍路さんが前後してご到着。
名古屋さん、茨木さん、埼玉さんが昨日の私を覚えていて下さって、嬉しさも右肩上がり!
ワケをお話しして、茨木さんに4年前のスナップ写真を差し上げました、
ご夫妻も驚かれるやら喜ばれるやら!!!
想い出の日記はまだ続きます。
「転載許可」の通知がありましたので日記の続編を編集させて頂きます。
歩きお遍路道中、今はお接待所になっております旧遍路宿「坂本屋」へお立寄りの節、
「私の趣味です」と、お茶当番三人にいただきました版画の内、私の封筒に入っていた
坂本屋の写真が掲載されており、びっくり致しました。
(お断り)
私のブログでは個人情報に配慮しお遍路さんのお名前は出身地の都道府県名などを
書かせせていただいておりましたが、当該新聞記事には実名掲載になっておりますので、
これ以降「茨木さん」を改め「金盛さん」と記述させていただきます。
2023年12月16日(土)の愛媛新聞
歩き遍路旅描いた金盛 弥氏の版画作品展
5年前の坂本屋当番日に昼弁当をご一緒した炉端で
「趣味の版画です、差し上げます」と頂いた坂本屋の版画が載っているではありませんか!
早速、新聞を切り抜きをご自宅宛て送らせていただきました。
このブログでは掲載容量の都合でこれ以上拡大転載できませんが、
金盛 弥氏のプロフィルご紹介に代えて掲載いたしますのでお目通し願います。
2023年12月16日付け愛媛新聞
・投稿著作権者の歴博館専門学芸員 今村賢司氏
・掲載してある版画2作品の制作者 金盛 弥氏
両氏の了解を得られた上で申請があれば許可番号を発行します、
との新聞社の意向を受け
お二方様にはお手紙で意を尽くしてご理解をお願い致しましたところ
快諾のご返事を戴きましたことお礼を申し上げます。
ここに至る間のお手紙、版画摺ハガキ通信は「私信」につき詳細を割愛致しますが、
直近のお手紙には、
◇2023年10/21(土)、秋遍路で坂本屋前を通過、閉館中で皆さんには会えなくて残念だったこと。
(返信)コロナ禍の影響で2023年春以降は日曜日だけの開館、お接待になっているお詫びを返信
◇返送された「版画集」は遍路宿・長珍屋さんへ再送し寄贈されたこと。
(返信)坂本屋で休憩なさるお遍路さんの滞在時間は凡そ煙管いっぷくの15~30分なので、
霊場各寺の版画をゆっくりご覧になるには長珍屋さんのお泊り時間が良かったかもしれません。
◇2023年12/15、今までに制作した四国霊場はじめ別格を含めた全版画の寄贈を受けて頂き、
その版画の個展まで開催中の愛媛県歴史文化博物館へ夫妻で行かれたこと等々。
2014年秋、三坂峠中腹の昔・遍路宿(今、お接待所)でたまたまお会いして以来
お遍路金盛氏と坂本屋のお茶当番との熱い交流は10年目を迎えました。
「たかが」とは申しません「されどお接待」の言葉を念じてお茶当番を続けたいと思います。