伊予最後の霊場・三角寺参り
2010年 11月 06日
歩いた日>2010年11月5日
コース> 第53回 土居町寒川発
第65番三角寺~別格第14番椿堂~境目トンネルまで 18,8Km
疲労度> ☆☆★★★
07:20 松山ICからバス乗車。
08:50 前回ゴールの寒川ファミマで準備運動を済ませて、いざ出発!
09:20 讃岐街道、伊予三島・具定町の古い造り酒屋さん CMではございませんが、建物は登録有形文化財とか?・・・
09:40 坂の上の雲の中の三角寺めざして、ひたすら歩きます
10:06 四国中央市中曽根町(今は民家のブロックに囲まれていた)
”弐百五十三度目”と読み取れる中務茂兵衛(なかつかさもへえ)の遍路石
中務茂兵衛は1845年(弘化2年)に生まれたとされている。
コース> 第53回 土居町寒川発
第65番三角寺~別格第14番椿堂~境目トンネルまで 18,8Km
疲労度> ☆☆★★★
07:20 松山ICからバス乗車。
08:50 前回ゴールの寒川ファミマで準備運動を済ませて、いざ出発!
09:20 讃岐街道、伊予三島・具定町の古い造り酒屋さん
09:40 坂の上の雲の中の三角寺めざして、ひたすら歩きます
10:06 四国中央市中曽根町(今は民家のブロックに囲まれていた)
”弐百五十三度目”と読み取れる中務茂兵衛(なかつかさもへえ)の遍路石
中務茂兵衛は1845年(弘化2年)に生まれたとされている。
生家は周防国椋野村(現在の大島町椋野)の庄屋で
一転、今風へんろ道案内板を横目に三島の町を歩く
この町のマンホール蓋はコスモスの花
この辺りで
三好さんとおっしゃる方からお菓子をお接待頂きました。-感謝合掌-
へんろ道保存会の道しるべ
10:23 そのへんろ道、今は松山自動車道の下になってしまった・・・
道草していたら、この「像」について、お先達の説明を聞くことができず・・・
添乗M・MさんにSOSを発信したところ、早速、以下の通りカンペが着信。
閻魔大王と六地蔵です
六地蔵とは地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天界の六道
をあらわしているみたいです。
とのこと、ありがとうございました! 2010・11/07
へんろ道を歩いて
10:36 四国中央市・国内有数の製紙産業工場群が見えてきた
10:40 戸川疎水記念公園で休憩
この町から参加のメンバーご家族から心温かいお接待を受けました。
お接待ありがとうございました。
11:00 お接待に英気快復、いよいよ三角寺めざして5Kの登り坂へ出発 。
リムジンバスが心配そうに待機していますが、おかげさまで誰も乗らない。
11:15 登って
11:30 登って
11:50 登って
12:02 「あと200m」の標識に思わず「ばんざ~い!」 したのは私
三角寺伽藍図
12:10 本堂へ最後の72段、急な石段を登り
1段毎の段差が異常に高かったことも、三角寺の思い出・・・
鐘楼門で大師のお出迎えを受け
「ゴーン」と、一つ入り鐘を撞いて、煩悩を一つ振り落し?
退出時に鐘を撞くと”お金が出て行く”とか・・・遍路もゲンを担ぎます
第65番 由霊山 三角寺(ゆれいざん さんかくじ)本堂を参拝
寺名は、弘仁6年(815)空海師が本尊十一面観音を安置、
三角の護摩壇を築き21日間、降伏護摩の秘法を修行したことに因むという。
紅葉の大師堂へお納経を済ませました
三角寺本尊:十一面観世音菩薩
是でこそ
☆☆☆~~~ ☆~
13:10 さて、出発
三角寺から別格椿堂経由県境まで9kを歩きます(三角寺駐車場の看板より)。
旧土佐街道 路傍の花 (どなたか、この花の名をご存じないですか?)
13:40 標高500m、三角寺付近からの瀬戸内眺望
是でこそ 登りし甲斐あり 秋の空 -門前の小僧-
14:05 旅籠 島屋跡(お小屋倉跡)
-碑文(原文ママ-
土佐の国主が参勤交代の時、
休み場が此処より
1400米登った所にあり、
お茶屋と呼ばれ、
ここで休憩するとき、
倉に格納してある
組み立て式の材料を運び上げて
臨時の休憩所とされた。
お殿様の権力の象徴だった?
その石碑近くにあった中務茂兵衛遍路石
「旧土佐街道」と書いてあるところをみると、
上の「お倉小屋跡」も、なるほどと納得。
14:15 半田ゆらぎ休憩所は粋な東屋にトイレ完備、助かります。
道案内はローマ字翻訳附きでした
掲示板のガラスに映ったお遍路さん一行
鏡は左右反対に映るのに、なぜ上下逆さに映らないのだろう?
てな、ヒマなことを考えながら・・・
14:37 はるか正面一番奥の山頂に雲辺寺が見えた
へんろ道は高速高知道下のトンネルをくぐります
次回は、今日のゴール地から7K 標高900mの雲辺寺まで登る・・・
嗚呼・・・カモシカのような己の細い足の根性に期待するのみ也!
15:00 三角寺をスタートして2時間、別格14番 椿堂到着
手前、大師堂 赤い柱が鐘楼門 その奥に本堂
別格第14番 常福寺椿堂 本堂
おかげさまで、”菩提の道場”伊予26ヶ寺を完歩することができました、
舞い上がって?「伊予364,4キロ完歩証」をご披露させていただきます。
ご幼少のみぎりから「証」とか「賞」の類いに縁の無かったオトコの金メダル?
15:40 椿堂出発、本日のゴール地まで、あと1時間の予定
おもしろい事に、愛媛県から徳島県を通って香川県雲辺寺をめざすことになる
先に完歩証を頂いたのだから、歯を喰い縛ってでも県境までは歩かねば!
だらだらと続く登り坂にはマイッタ!なう
道中、遍路小屋で野宿支度中の若い歩き遍路さんにエールを送り、
ヘトヘトになって、辿り着いた夕暮れの境目トンネル手前の車寄せ、
16:30 紅葉の中でサポートバスがニッコリ笑って待っててくれました。
16:45 川滝消防団前車寄せからバス乗車
18:40 松山IC、下車。
周辺の村々はもとより、島外にも土地を持つ富豪であった。
1865年、茂兵衛は恵まれた環境を捨てて家を出た。
原因は恋愛を反対されたためと伝えられるが定かではない。
しばらく放蕩に明け暮れた茂兵衛だったが、
しばらく放蕩に明け暮れた茂兵衛だったが、
四国へ渡り仏教に帰依し、遍路巡礼の旅に出発した。
茂兵衛の遍路は、このときから1922年(大正11年)に没するまで
一生続くことになり、その回数なんと280回
茂兵衛は88回目の巡礼を記念して道しるべの建立を始め、
四国各地に現在わかっているだけでも243基の遍路石を建立している。
茂兵衛は88回目の巡礼を記念して道しるべの建立を始め、
四国各地に現在わかっているだけでも243基の遍路石を建立している。
遺骨を埋葬したという大島郡椋野の中務家墓地に茂兵衛の名はないが、
四国各地のへんろ道に建立された多くの道しるべ石には
「願主 周防国大島郡椋野村 中務茂兵衛義教」の文字が刻まれている。
「願主 周防国大島郡椋野村 中務茂兵衛義教」の文字が刻まれている。
この記事は ー語り継がれる人々ー
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/katari/0712/kt_712_071229.htm
より抜粋編集させていただきました、感謝。
一転、今風へんろ道案内板を横目に三島の町を歩く
この町のマンホール蓋はコスモスの花
この辺りで
三好さんとおっしゃる方からお菓子をお接待頂きました。-感謝合掌-
へんろ道保存会の道しるべ
道草していたら、この「像」について、お先達の説明を聞くことができず・・・
添乗M・MさんにSOSを発信したところ、早速、以下の通りカンペが着信。
閻魔大王と六地蔵です
六地蔵とは地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天界の六道
をあらわしているみたいです。
とのこと、ありがとうございました! 2010・11/07
へんろ道を歩いて
10:36 四国中央市・国内有数の製紙産業工場群が見えてきた
10:40 戸川疎水記念公園で休憩
この町から参加のメンバーご家族から心温かいお接待を受けました。
11:00 お接待に英気快復、いよいよ三角寺めざして5Kの登り坂へ出発 。
リムジンバスが心配そうに待機していますが、おかげさまで誰も乗らない。
11:15 登って
11:30 登って
11:50 登って
12:02 「あと200m」の標識に思わず「ばんざ~い!」 したのは私
三角寺伽藍図
12:10 本堂へ最後の72段、急な石段を登り
1段毎の段差が異常に高かったことも、三角寺の思い出・・・
鐘楼門で大師のお出迎えを受け
「ゴーン」と、一つ入り鐘を撞いて、煩悩を一つ振り落し?
退出時に鐘を撞くと”お金が出て行く”とか・・・遍路もゲンを担ぎます
第65番 由霊山 三角寺(ゆれいざん さんかくじ)本堂を参拝
寺名は、弘仁6年(815)空海師が本尊十一面観音を安置、
三角の護摩壇を築き21日間、降伏護摩の秘法を修行したことに因むという。
紅葉の大師堂へお納経を済ませました
同行20人、全員に大好評だった「昔屋」の竹皮にぎり弁当
きれいに編んだ竹皮の折箱は、”お宝!”
寛政七年(1795)春、寺を訪れた小林一茶の句
寛政七年(1795)春、寺を訪れた小林一茶の句
是でこそ
登りしかひあり
山桜
今も健在の山桜は
樹齢300~400年と云われ
春には桜見に訪れる人も多いらしい
伊予最後の札所
讃岐との関所寺に
相応しい山桜なのかな?
☆☆☆~~~ ☆~
嬉しい再会がありました!
山桜
今も健在の山桜は
樹齢300~400年と云われ
春には桜見に訪れる人も多いらしい
伊予最後の札所
讃岐との関所寺に
相応しい山桜なのかな?
☆☆☆~~~ ☆~
嬉しい再会がありました!
小学5年のとき村へ転校してきて、中学1年の春他校へ転校、
その後、製紙会社へ就職した同級生(当時の故郷の駅長の息子)とは、
年賀状の途絶えることは無かったが、会える機会がなかった。
遍路出発前に三角寺の麓に住んでいる彼にハガキを書いたら
地元老舗菓子舗の「最中」持参で寺までお接待に来てくれた。
五十何年ぶりの対面、鐘楼門下で人目を憚らずハグした。
彼の転校直前、お別れ遠足に行った43番明石寺以来の再会が
65番三角寺とは因縁ただならぬものをを覚えた。
「弘法大師のお引き合わせやろうな~」と、彼が言う・・・
「並なら居酒屋やろな」と、修行の足らない私。
弁当しながら話しは尽きなかったが、私の出発時間が迫り、
遠くない日に村の小学校の同級会開催を約束して別れた。
その後、製紙会社へ就職した同級生(当時の故郷の駅長の息子)とは、
年賀状の途絶えることは無かったが、会える機会がなかった。
遍路出発前に三角寺の麓に住んでいる彼にハガキを書いたら
地元老舗菓子舗の「最中」持参で寺までお接待に来てくれた。
五十何年ぶりの対面、鐘楼門下で人目を憚らずハグした。
彼の転校直前、お別れ遠足に行った43番明石寺以来の再会が
65番三角寺とは因縁ただならぬものをを覚えた。
「弘法大師のお引き合わせやろうな~」と、彼が言う・・・
「並なら居酒屋やろな」と、修行の足らない私。
弁当しながら話しは尽きなかったが、私の出発時間が迫り、
遠くない日に村の小学校の同級会開催を約束して別れた。
☆☆☆~~~ ☆~
13:10 さて、出発
三角寺から別格椿堂経由県境まで9kを歩きます(三角寺駐車場の看板より)。
旧土佐街道 路傍の花 (どなたか、この花の名をご存じないですか?)
13:40 標高500m、三角寺付近からの瀬戸内眺望
是でこそ 登りし甲斐あり 秋の空 -門前の小僧-
14:05 旅籠 島屋跡(お小屋倉跡)
-碑文(原文ママ-
土佐の国主が参勤交代の時、
休み場が此処より
1400米登った所にあり、
お茶屋と呼ばれ、
ここで休憩するとき、
倉に格納してある
組み立て式の材料を運び上げて
臨時の休憩所とされた。
お殿様の権力の象徴だった?
その石碑近くにあった中務茂兵衛遍路石
「旧土佐街道」と書いてあるところをみると、
上の「お倉小屋跡」も、なるほどと納得。
14:15 半田ゆらぎ休憩所は粋な東屋にトイレ完備、助かります。
道案内はローマ字翻訳附きでした
掲示板のガラスに映ったお遍路さん一行
鏡は左右反対に映るのに、なぜ上下逆さに映らないのだろう?
てな、ヒマなことを考えながら・・・
14:37 はるか正面一番奥の山頂に雲辺寺が見えた
へんろ道は高速高知道下のトンネルをくぐります
次回は、今日のゴール地から7K 標高900mの雲辺寺まで登る・・・
嗚呼・・・カモシカのような己の細い足の根性に期待するのみ也!
15:00 三角寺をスタートして2時間、別格14番 椿堂到着
手前、大師堂 赤い柱が鐘楼門 その奥に本堂
別格第14番 常福寺椿堂 本堂
寺名を「邦治山 不動院 常福寺」と云い
弘仁6年(815)、弘法大師がこの地に立ち寄り
持っていた椿の杖を突き立てて
当時この地方に流行していた病を大地に封じ込めた。
弘仁6年(815)、弘法大師がこの地に立ち寄り
持っていた椿の杖を突き立てて
当時この地方に流行していた病を大地に封じ込めた。
その後、この椿の杖から芽が出て大樹になった伝承から
「椿堂」と呼ばれようになった。
「椿堂」と呼ばれようになった。
ー境内の寺由来看板より要約転記ー
※撮影忘れましたので冊子画像より借用しました。
杖を突いたら泉が湧いたり、
杖が椿や大杉になったり、この種の伝承は枚挙にいとまがない・・・
我が大師様はスーパーマンにやあらん?!
四国遍路は、なんでもありで面白い
18歳未満 拝観お断り!
これがこの寺の境内に相応しいのかよく解らない・・・
それはさておき、
ゴール地が国道の車寄せなのでセレモニーが出来ないとのことで、
15:30 境内で夕日を浴びながら「伊予一国完歩証」授与式!
杖を突いたら泉が湧いたり、
杖が椿や大杉になったり、この種の伝承は枚挙にいとまがない・・・
我が大師様はスーパーマンにやあらん?!
四国遍路は、なんでもありで面白い
18歳未満 拝観お断り!
これがこの寺の境内に相応しいのかよく解らない・・・
それはさておき、
ゴール地が国道の車寄せなのでセレモニーが出来ないとのことで、
15:30 境内で夕日を浴びながら「伊予一国完歩証」授与式!
必ず全員揃って88番結願寺を目指し、高野山まで頑張ろうゼ!
おかげさまで、”菩提の道場”伊予26ヶ寺を完歩することができました、
舞い上がって?「伊予364,4キロ完歩証」をご披露させていただきます。
ご幼少のみぎりから「証」とか「賞」の類いに縁の無かったオトコの金メダル?
15:40 椿堂出発、本日のゴール地まで、あと1時間の予定
おもしろい事に、愛媛県から徳島県を通って香川県雲辺寺をめざすことになる
先に完歩証を頂いたのだから、歯を喰い縛ってでも県境までは歩かねば!
だらだらと続く登り坂にはマイッタ!なう
道中、遍路小屋で野宿支度中の若い歩き遍路さんにエールを送り、
ヘトヘトになって、辿り着いた夕暮れの境目トンネル手前の車寄せ、
16:30 紅葉の中でサポートバスがニッコリ笑って待っててくれました。
16:45 川滝消防団前車寄せからバス乗車
18:40 松山IC、下車。
-お立ち寄りの皆さまへ-
いつも、わが歩き遍路チームを
見守って頂きましてありがとうございます、
なんとしても20人揃って
結願を迎えたいと頑張っておりますので
最後まで応援よろしくお願い致します。
次回は、いよいよ涅槃の道場の旅が始まります。
いつも、わが歩き遍路チームを
見守って頂きましてありがとうございます、
なんとしても20人揃って
結願を迎えたいと頑張っておりますので
最後まで応援よろしくお願い致します。
次回は、いよいよ涅槃の道場の旅が始まります。
by jh5swz
| 2010-11-06 17:15
| 65番三角寺~県境まで
|
Comments(0)