79番天皇寺から81番白峰寺まで
2011年 04月 02日
コース>第58回 JR坂出駅前~
79番天皇寺~80番国分寺~81番白峯寺まで 15,8キロ
疲労度>
その1)JR坂出駅前から79番天皇寺まで2,7キロ
07:20 松山ICからバス乗車。
08:30 松山自動車道豊浜サービスエリアの東日本へ捧げる半旗・・・
東日本大震災犠牲者のご冥福を祈る一日にすることを決めました。
09:10 JR坂出駅到着
09:20 駅に隣接する公園でストレッチ
地図中央の坂出駅から赤い点線に沿って天皇寺めざしてスタート
09:45 JR予讃線を渡って
09:55 ほどなく八十場(やそば)の泉に到着
メニューも豊富で
左ききのクセに甘党の私も定番からし醤油(¥250-なり)で一杯。
10:05 八十場の泉から歩いて神社裏から境内へ入って白峰宮を参拝。
三輪鳥居の神名額は
10:10 第79番天皇寺到着
後日、人づてに聞いた話しで定かではないが・・・
赤い鳥居は白峰宮の参道入り口なので、
写真手前の天皇寺石碑側の駐車場から赤門を通って入山するのだとか、さてさて??
神名額は確かに”崇徳天皇”
第79番 金華山 天皇寺<高照院> (きんかざん てんのうじ・こうしょういん)
75代天皇崇徳上皇(1119~64)は保元の乱(1156)に敗れ、讃岐へ配流され、
長寛2年(1164)、坂出府中の鼓ヶ岡で崩御、朝廷からの令旨が届く間、
柩を当寺へ安置したことから上皇を祀る白峰宮の別当として「天皇寺」となった。
明治政府の神仏分離令により崇徳上皇社は白峰宮となり天皇寺は廃寺となったが、
筆頭末寺高照院が跡地に移転、本尊を遷座し札所天皇寺高照院となった。 んやて~
-以上、手元参考資料から抜粋-
ここにも神仏分離令に翻弄された寺院と神社の歴史があった・・・
天皇寺大師堂
・・・弘法大師さま 東日本を応援して下さい・・・
その2)79番天皇寺から80番国分寺まで 6,6キロ
10:35 天皇寺(高照院)・白峰宮の鳥居をあとに国分寺をまざして出発
私は「お寺」をお参りしたのですが「お宮」の鳥居に見送られております。
11:05 予讃線鴨川駅を通過
綾川の河川敷を歩いて
11:30 ウワサの山下うどん!
うどん玉数を注文してトッピングは自由、勘定は自己申告!
玉2+エビかき揚げ+ジャコ天+生タマゴ=¥580-
12:36 香川では「うどんは別腹」と云いますが、その別腹も満腹につき足取り重し・・・
今からT字型の茶色の県道を十九丁から白峰寺まで歩き、
来月、白峰寺から打戻って根香寺~高松市内へ下ります。
国分寺伽藍配置図
12:55 第80番国分寺仁王門到着
聖武天皇勅願寺の一つで、さすがの貫禄を見せる仁王門。
門前の枝振りのいい松が大きい仁王門を余計に引き立てていました。
仁王門の山号額、「白い牛」でもたくさん居たような?
正面本堂に至る境内参道には見事な松並木
13:00 本堂でござる
聖武天皇創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が国の特別史跡。
本堂は鎌倉中期に再建されたもので、周辺に創建当時の礎石が点々と残る。
ーと、手元の本に書いてあるー
大師堂は右手の「礼拝殿」と称する中門の奥にある多宝塔みたいな二重の塔?
13:22 「礼拝殿」とはもったいぶった呼ばせ方?
屋内は納経所を兼ねた雑然としたみやげ物売場で
遍路は肩を寄せ合って正面の窓の奥の別棟の大師堂に向かってお納経・・・
撮影禁止でした、スミマセン
国分寺本尊:十一面千手観音
読めません、スミマセン
現存していれば
京都・東寺の五重塔を超える大塔だったと云われる創建当時の七重塔の基礎石
その3)80番国分寺から81番白峰寺まで
13:50 一休みのあと、正面の五色台(白峰山)の尾根の県道までを登ります。
約3,5キロ 標高差300m お先達の計画では1時間20分、さて?
14:20 前途多難を思わせるへんろ道
14:30 石鎚神社への分岐辺り、おのおの方、覚悟召されい!
この辺りで人馴れしたヤマガラが多数居ると聞いていたので
買い求めたヒマワリの種を
同行皆さんにお接待。
ヤマガラ君
500g ¥298の高級品だぜい!
手のひらにヒマワリの種を載せて待つこと暫らく・・・
23m先の小枝にチョイと現れ、首をかしげて安全確認
なかなかゆっくり舞い降りてくれない・・・
艱難辛苦、数メートル先の小枝に止まった
ヤマガラ君をゲット!
14:45 延々と続く段差の高い丸太階段、
登りに弱い私・・・ 前を行く人の背中も見えない・・・
15:05 尾根の県道まで100mの東屋で小休止
15:20 東屋からわずか100mを肩で息して、やっと尾根の県道へ。
同行仲間を杖で引く人、引かれる人、サポートバスが救急車に見えました。
延々と続く県道沿いの金網は
9・11NYテロ以来
張り巡らされたという
自衛隊善通寺演習場を囲む金網。
⇔ 警告看板!
平和なようで 不安定なニッポン・・・
15:50 ところが ところが
お堅い自衛隊の粋なはからいでしょうか?古来あったへんろ道だからと
その一部分?は金網が無くて、足元の丁石を数えながら
遍路一同、天下御免で演習場内を歩かせていただきました。
15:55 古田の分岐
ここから山道1200mを一気に下ります。
これが聞きしに勝る ”悪路” !・・・
摩尼輪塔(まにりんとう)看板
摩尼輪塔(県指定有形文化財)は、
長く辛い仏道修行を経て悟りを得た究極の位を表す「摩尼輪(塔の丸い部分)」に因む名です。
摩尼輪の下(四角い部分)には「下乗」と彫りこみ、ここからは聖地であるから、
いかなる高貴なお方でも乗物を降りて、歩いて参拝しなさい、と示しています。
この塔は、元応3年(1321)金剛仏子宗明が建立した全国でも珍しい塔です。 以下略
護今日まで決して楽ではなかった1000キロを歩きましたが、
畏れ多くも「究極の位」に達したなどとは思ってもおりません・・・
ただ、ここまでずっと歩き続けましたので、
高貴なお方の如く馬や駕籠から下乗することなく、このまま入山致します。
16:10 摩尼輪塔から300mほど下って、ようやく白峯寺到着。
表からは五つの棟しか見えませんが、裏側にさらに二つの棟があり、
七棟門(しちとうもん)と呼ばれる大変珍しい高麗式の塀重山門です。
護摩堂
正面に後小松天皇の御宸筆になる「頓証寺」の扁額が掲げられており、
この門を勅額門と呼ぶようになった。 -坂出市HP-
勅使門を入ると、
父・後鳥羽天皇に疎まれ、
弟・後白河天皇によって讃岐へ流された
悲運の崇徳天皇を祀る頓証寺殿がありました。
天皇家肉親同士の皇位継承の勢力争いに
武士(平氏と源氏)が巻き込まれた
保元の乱から平治の乱の物語りは
84番屋島寺の壇ノ浦・源平合戦まで続きます・・・
勅額門の手前を右折して、本堂へ最後の92段の石段登り
国分寺からへんろ転がし坂を登ってきた細い足には少々堪えました。
第81番 綾松山(りょうしょうざん) 白峯寺本堂
白峯寺 大師堂
白峯寺本尊:千手千眼観自在寺菩薩
「お疲れさま」と優しいドライバーさん
「いつもお世話になります、ありがとう」。
17:05 五色台から夕焼けの瀬戸内海を眺めながら(車中)
あと七ヶ寺・・・結願への高揚感と終結への寂しさが交錯して心中複雑です。
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