高野山⑦壇上伽藍~金剛峯寺
2011年 11月 16日
2011年11月4日(金)
2日目その3
大師教会~檀上伽藍~金剛峯寺~昼食
卍マークは、ほとんど宿坊(塔頭)で高野町には58院あるとか
(霊宝館左に私達が泊まった「遍照尊院」の名前も見えます)
11:45 大師教会を出ると、赤地蔵常喜院という派手な塔頭(宿坊)?がありました
蛇腹道の緩やかな坂を登れば檀上伽藍です
11:50 檀上伽藍
手前から東塔(とうとう)・大会堂(だいえどう)・根本大塔(こんぽんだいとう)
高野全山の中心をなす檀上伽藍の、その又中心、根本大塔の
総高48,5mの威容が陽射しを浴びて周りを圧倒します
右下隅っこ杉の木に並ぶ石柱にご注目↑
全山の中心壇上伽藍・根本大塔境内に凛と立つ結界神社の鳥居(詳細説明聴き漏らしました・・・)
明治政府の国策のご都合で神仏習合から廃仏毀釈政策が執られて
全国の寺院は苦難の道を辿ったと聞き及びますが、
真言宗総本山高野山には奥の院を護る結界の鳥居と広大な伽藍が両立して健在でした。
(門前の小僧の個人的感想につき間違っておりましたらご容赦・・・)
檀上伽藍から奥ノ院への1町石です
実は、昨日からあれほどの執念で追っかけた180町石の
慈尊院への1町石が蛇腹坂の手前にあったらしいのですが、
モミジに見惚れて撮影チョンボ・・・
集めて帰った観光パンフレットの一つ「町石道案内」から
その写真をスキャンして紹介させていただきます・・・
慈尊院の180町石を撮り損ね、その1番石の撮影もチョンボして・・・
修業が足らねえなあ~
先にお断りしておきますが奥ノ院の最終36町石は撮影禁止区域にありますので(笑)
12:05 それにしても見事な檀上伽藍の紅葉でした
12:10 高野山真言宗総本山・金剛峯寺です
参拝者が途切れません
山門正面に本堂
金剛峯寺本堂お納経
躾けがいいものですから、真正面を大勢の参拝者に譲って・・・
ご朱印
弘法大師は奥ノ院におわしますので、ここには大師堂がありません
本堂、檜皮葺き屋根上の天水桶(防火用水)
かっては高野山各寺に備えられていたが、現在ではここだけと聞く。
当時は幕府のお許しがないと天水桶は設置できなかったとか・・・
2010年4月2日、今治市延命寺参拝の日、
延命寺手前の大西町の旧家にもありました。
帰宅後、大西町のお得意先に聞いてみると、
今は空き家になっているが、地元名門 井〇邸で、
かって参勤交代時の本陣、その後お庄屋・役場など
町の歴史の中心であった由緒ある建物とのこと、さもありなん!
同行TTさんの菅笠をお借りして総本山前で「正装」してみた門前の小僧
12:26 金剛峯寺を参拝後、高野町を歩きます。
お遍路さんが歩くとぴったり絵になる町並みでした
由緒ありそな数珠屋四郎兵衛さんの看板
2階で昼食
一階の売店で新品のお杖と背比べ、
チビた!(緑の杖袋の)お杖殿、苦労かけました。
是非買って帰りたかった”生どうふ”は、「万一傷むと心配です」とのこと、
売店のお嬢さんのお奨めで”ごまどうふ”をお土産に少々買い込みました。
とても美味だったので追加購入しようと思い、
角濱総本舗のHPを開くと興味深い記事がありました。
御仏になられた弘法大師空海師は、
今も一日2度食事<生身供(しょうじんぐ)>をされるそうで、
珍しい画像付きでコンテンツが貼られています、是非ご覧ください。
考えてみれば特別なことでもないか~
我が家でも毎朝女房が炊立てのご飯に一番茶と水を添えて仏壇にお供えしている・・・
宗派は禅宗であるが。
奥ノ院御廟参拝⑧へ続く
2日目その3
大師教会~檀上伽藍~金剛峯寺~昼食
卍マークは、ほとんど宿坊(塔頭)で高野町には58院あるとか
(霊宝館左に私達が泊まった「遍照尊院」の名前も見えます)
昼食した数珠屋さんのイラストから
11:45 大師教会を出ると、赤地蔵常喜院という派手な塔頭(宿坊)?がありました
蛇腹道の緩やかな坂を登れば檀上伽藍です
11:50 檀上伽藍
手前から東塔(とうとう)・大会堂(だいえどう)・根本大塔(こんぽんだいとう)
高野全山の中心をなす檀上伽藍の、その又中心、根本大塔の
総高48,5mの威容が陽射しを浴びて周りを圧倒します
全山の中心壇上伽藍・根本大塔境内に凛と立つ結界神社の鳥居(詳細説明聴き漏らしました・・・)
明治政府の国策のご都合で神仏習合から廃仏毀釈政策が執られて
全国の寺院は苦難の道を辿ったと聞き及びますが、
真言宗総本山高野山には奥の院を護る結界の鳥居と広大な伽藍が両立して健在でした。
(門前の小僧の個人的感想につき間違っておりましたらご容赦・・・)
檀上伽藍から奥ノ院への1町石です
実は、昨日からあれほどの執念で追っかけた180町石の
慈尊院への1町石が蛇腹坂の手前にあったらしいのですが、
モミジに見惚れて撮影チョンボ・・・
集めて帰った観光パンフレットの一つ「町石道案内」から
その写真をスキャンして紹介させていただきます・・・
慈尊院の180町石を撮り損ね、その1番石の撮影もチョンボして・・・
修業が足らねえなあ~
先にお断りしておきますが奥ノ院の最終36町石は撮影禁止区域にありますので(笑)
12:05 それにしても見事な檀上伽藍の紅葉でした
12:10 高野山真言宗総本山・金剛峯寺です
参拝者が途切れません
山門正面に本堂
金剛峯寺本堂お納経
躾けがいいものですから、真正面を大勢の参拝者に譲って・・・
ご朱印
本堂、檜皮葺き屋根上の天水桶(防火用水)
かっては高野山各寺に備えられていたが、現在ではここだけと聞く。
当時は幕府のお許しがないと天水桶は設置できなかったとか・・・
2010年4月2日、今治市延命寺参拝の日、
延命寺手前の大西町の旧家にもありました。
帰宅後、大西町のお得意先に聞いてみると、
今は空き家になっているが、地元名門 井〇邸で、
かって参勤交代時の本陣、その後お庄屋・役場など
町の歴史の中心であった由緒ある建物とのこと、さもありなん!
同行TTさんの菅笠をお借りして総本山前で「正装」してみた門前の小僧
12:26 金剛峯寺を参拝後、高野町を歩きます。
由緒ありそな数珠屋四郎兵衛さんの看板
2階で昼食
一階の売店で新品のお杖と背比べ、
チビた!(緑の杖袋の)お杖殿、苦労かけました。
是非買って帰りたかった”生どうふ”は、「万一傷むと心配です」とのこと、
売店のお嬢さんのお奨めで”ごまどうふ”をお土産に少々買い込みました。
とても美味だったので追加購入しようと思い、
角濱総本舗のHPを開くと興味深い記事がありました。
御仏になられた弘法大師空海師は、
今も一日2度食事<生身供(しょうじんぐ)>をされるそうで、
珍しい画像付きでコンテンツが貼られています、是非ご覧ください。
考えてみれば特別なことでもないか~
我が家でも毎朝女房が炊立てのご飯に一番茶と水を添えて仏壇にお供えしている・・・
宗派は禅宗であるが。
奥ノ院御廟参拝⑧へ続く
by jh5swz
| 2011-11-16 17:16
| 高野山結願報告参拝 20111103
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