高野山⑧奥の院御廟参拝
2011年 11月 19日
2011年11月4日(金)
2日目その4
数珠屋さん~奥ノ院御廟参拝
ふもとの慈尊院からお読みなりますか?
昼食後、おみやげを買ったり高野山上の町並みを散策、
しばらく自由時間を過ごしました。
買ったおみやげは、珠数屋さんが最終集合地の橋駐車場へ届けて下さる由、
(私は、それほど買いません 買えません ^0^)
13:10 お参り身支度整えて塔頭(宿坊)が並ぶ高野町を奥ノ院へ歩きます。
13:25 刈萱堂(かるかやどう)をお参り
苅萱道心が出家し、実子、石道丸と父子を名乗ることなく、
ともに仏道修行に明け暮れたと伝わるお堂。
13:35 ほどなく奥ノ院表参道入り口「一ノ橋」です
「一ノ橋」全員集合!
ここで昨夜の夕食会で皆さん衆議一決した「写真屋さんの集合写真」を撮りました、
思えば平成18年4月7日、一番霊山寺を出発したあの日以来の”記念写真”でした。
参道入り口
ここから約2キロは、歴史に残るオールスターの供養塔が続きます。
鶴田浩二さん、お参りし損ねました・・・
<表参道>一の橋~中の橋~御廟~納経所~<裏参道>~英霊殿~中の橋駐車場 高野観光協会イラストより
参道を歩きながらのショットですから画像はパッとしませんが一部をご紹介します
標識の番号は高野山観光協会が1日¥500で貸出す「音声ガイド機」用の表示。
私達は同行のお先達に説明頂きましたが、専門ガイドさんは2時間¥6000とか。
明智さん、「敵は本能寺にあり!」って
「その敵」は、一体誰だったのですか?
と尋ねてみましたが・・・ 無言・・・
参道半ば、中の橋の傍に「汗かき地蔵尊」がありました。
地蔵尊は私たちの身代わりに罪を背負われ汗をかくのだそうです。
13:50 覚ばん坂。
43段の緩い階段で、四二(死に)越えるという意味があるとかないとか・・・
14:00 通称「一番石塔」と呼ばれる崇源院(小督(こごう))の供養搭
奥の院参道最大の五輪搭で高さ6,6m 台座の広さ2,75㎡だと云う
小督(こごう)って、どなた様かお分かりですか?
<ヒント>浅井長政とお市の方の三女・二代将軍秀忠の妻・駿河大納言及び千姫の母。
<2011年9月21日・地元「橋本新聞>
この墓碑は1627年に三男の徳川忠長が建てたとされ、
それ以来法要は営まれていないらしく、
このほど384年ぶりに追善法要が営まれた。
と云う、ご当地大河ドラマ便乗供養と思われる複雑な記事を読みました。
384年ぶりてて、きっと崇源院(小督(こごう))さん、草葉の陰で苦笑い・・・
一番石塔のみならず、今は無縁仏となり苔むした五輪塔を含めて
30万基以上と云われる供養塔が延々と続きます。
因みに(手元資料によると)
二番石塔は安芸浅野家供養塔
三番石塔は加賀前田家供養塔
四番石塔は薩摩島津家供養搭。
ほか、天樹院千姫供養搭、浅野内匠頭・赤穂浪士供養塔、春日局供養塔等々・・・
(次の画像と関係はありません)
一段高い所には、史跡・豊臣家墓所が・・・
相変わらず名もないお地蔵さんが気になる門前の小僧です
恩讐を超えて、明智光秀さんと並べてあげたかったな~
ここでしかできない、積もる話しもあっただろうに・・・
夫々の生国或いは終焉の地には菩提寺・墓所があり、
ここは分骨供養の五輪塔と思われますが
一の橋から続く高野山奥の院参道とは
広大な墓地なのだ、と思うことにしました。
門前の小僧、
本日は弘法大師空海にお線香を手向けに参りましたので真直ぐ御廟へ進みます。
14:15 高野山奥ノ院御廟橋(ごびょうばし又はみみょうばし とも呼ぶらしい)
御廟橋の敷板石数36枚には37尊の諸仏諸菩薩の象徴が梵字で板裏に彫られており、
板数が一枚足らないのは橋全体を一つと見ているからだと言われている・・・とか。
これより先「撮影禁止」につき、上の画像からせめて御廟前の燈籠堂をトリミング・拡大。
石段左手前に、檀上伽藍から数えて最終の36町石がありました。
御廟橋の欄干にドンと建つ
・禁煙
・写真撮影禁止
・飲食禁止
・浴衣・丹前・肌着での参拝禁止の高札
この先、石段を登り燈籠堂をお参り、
その奥の大師御廟で般若心経を納めるわけですが、
画像がなくて、くどくど長い文章になるのか・・・と、
色々資料を探していたところ
「月夜閑話」というブログに、管理者自身がお書きになったイラストがあり、
メールで転用をお願いしたところ、快くご承諾下さいましたので掲載させていただきます。
少々補足
❶ 御廟橋で合掌一礼
❷ 御廟の前室・燈籠堂礼拝(るぶぶ・comより)。
大師へ献上する2万個とも云われる燈籠が堂内いっぱいに下げられている。
1016年(長和5)、祈親燈は、俗称、貧女の一灯ともいわれ、
1088年(寛治2)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、
絶えることなく燃え続けている、と云うがどれがソレやら判らなかった。
ここで同級生から預かった写経88巻と自分の1巻を納め、家内安全お守りを受けました。
❸ 燈籠堂裏・御廟参拝(手元参考書より)
御廟は大師が承和2年(835)3月21日,62歳の時に入定された場所であり,
以後1200年間
地下の霊窟で生身のまま、人々を導き続けていると信じられている場所でもあり、
この霊窟には,延喜10年(910)弟子の観賢(かんげん)が入ったのを最後に,
今日まで足を踏み入れた人はなく、
数ある霊域の中でも筆頭にあげられる,神聖な場所だと言う事です。
御廟でお灯明を焚き20人で般若心経を奉納、不肖、門前の小僧も真面目に読経。
❹ 一巡して燈籠堂へ戻り、地下へ下り霊窟の正面にあたる場所で最後の般若心経を奉納。
❺ 参拝後、御廟橋からお見送りのお大師に合掌礼拝。
以上が奥ノ院におけるお先達の先導による参拝作法です。
聖域だから「一切撮影禁止」なのでしょうけど・・・、
提供戴いたイラストがなければ全容は闇の中・・・
月夜閑話さんありがとうございました。
御廟橋へ引き返し納経所前で奥ノ院参拝の余韻に浸りながら暫し休憩。
水向地蔵(みずむけじぞう)
御廟橋手前、水行場を背にして地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩などが安置されており、
夫々の仏像に水を注ぎ、先祖代々、亡き人々の冥福を祈る参拝者が絶えませんでした。 私は東日本大震災で犠牲になられた多くの方々の霊にお水を捧げました・・
御廟橋下を流れる玉川の水行場
霊峰揚柳山から湧き流れる神聖な川で禊の場となっており、
雪の降る厳寒の水行場で、
胸まで清水に浸かり一心に般若心経を唱え、
厳しい修行を務める方々があると云う。
気温0度、水温3度、1回の水行は約15分とか・・・、
私にはとても耐えられない・・・
高野山参詣から5年・・・
平成28年2月、毎日新聞にこんな写真と記事が・・・
画像帰属:毎日新聞社
山に籠って修行中の高野山高校の学生さんと教師三人が
2001年2月ハワイ沖で、急浮上した米国潜水艦に衝突され
海に散った宇和島水産高校生の慰霊法要水行を厳寒の玉川で行った。
と言う記事を読んで胸が熱くなった・・・
転載のお断りができていませんので、詳細は毎日新聞記事を是非読んで欲しい・・・
高野山奥ノ院ご朱印ご本尊名は弘法大師
爺ちゃんのお守り 今回のお守り
昭和25年(1950) 平成23年(2011)
昭和25年(1950)、お四国歩き遍路を結願して高野山へ参拝した爺ちゃんのお納経帖に挟んであった お守りと同じ「おふだ」がお納経所あったので受けて帰りました、61年の時空を越えて記念写真です。
手元書誌の中に
「56億7千万年の後、弥勒菩薩がこの世に出られるまで、
生きとし生けるものすべてを見守る」と誓って大師は洞窟で入定された、
と云う稀有壮大なお話しがありました・・・。
5年7カ月、暑さ寒さを共にした白衣(びゃくえ)のご宝印
自己満足ながら、最上段に高野山奥の院
中段中央に一番霊山寺・左右に20番鶴林寺の鶴と39番延光寺の亀
下段なったが、結願の大窪寺
14:50 満願成就の参拝を終えた「がんばった歩き遍路」一同、満面の笑み
14:55 わが伊予藩のお殿様のお参りも済ませ
お先達さんが、昨日、大門から門前町へ歩きながら
「ガイジンさんにカメラを向けられことがありますが国際親善に努めて下さい」と言われましたが、
中の橋駐車場の小さなテントで、
年配の夫婦が「高野槇」の苗木を売っておられ、歩き遍路の記念樹を買いました。
写真はT・Tさん提供
小僧: 「いくらですか?」
おじさん:「2000円」
小僧: 「素直に育つ苗を選んで下さい」
おじさん:「ワシに任すか?」
小僧: 「はい」
おじさん:「えらい素直やな~」
小僧: 「はい」
選んで貰った苗木がコレ。
(画像は帰宅後、庭のメダカ壺傍で撮影)
現在、玄関の小庭で
”門前の小僧お手植えの高野槇” なり。
蒲鉾板で高札を建てなくては・・・
妙に波長が合ったそのおじさんが
苗木を新聞紙に包みながら
「気をつけてお帰りよ」と、
握らせてくれた「交通安全御守」。
ほかにもお客さんは居たのに・・・
屋号も名前も聞いてないから
礼状も出せない・・・
「おじさん、
ありがとう、お元気で」。
おばさんが睨んでいたけど
あとで「サービス過剰や!」と
叱られんかったですか~(笑)
高野山参拝旅の忘れることのできない、ほのぼの出会いでした。
<高野槙その後>
ちょうど2年後の2013年10月31日、四国巡拝旅の終了後、
この旅の途中受けたお接待のお返しがしたくて入門させて頂いた
遍路茶屋・坂本屋へスペイン大使ご夫妻が体験遍路にお見えになった日、
将来、我が家の小庭では窮屈になるであろうと、許可を得て
坂本屋前の旧街道沿いの畑に移植、現在、すくすくと育っております。
15:30 駐車場で珠数屋四郎兵衛商店から届いたみやげ物を受け取り、
名残り尽きない高野山をあとにお遍路リムジンバスは四国へ出~発
2日間のツアー時程表
因みに、2日間のツアー代金は¥32000-
携帯の歩数計
11月3日 慈尊院から矢立まで 24942歩
11月4日 矢立から奥ノ院まで 24464歩
16:12 途中、「道の駅」紀ノ川万葉の里で買った”柿の葉すし”の美味しかったこと
3個 ¥310、あまりに美味だったので1個女房に持ち帰った門前の小僧
このあと、バスは何処をどう走ったのか、まったく????ですが、
関空から飛び立つ飛行機や神戸の百万ドルの夜景を海側から眺めながら爆走。
18:30~19:00 淡路サービスエリアで夜食・休憩
がんばった20人のチーム名(淡路SA)
がんばった20人の「お杖」(淡路SA)
一番奥、一番チビた緑の杖袋が私のお杖
淡路海峡大橋・鳴門大橋・松山自動車道を爆走、
長い間、励まし、励まされながら1150キロを歩いた皆さんとお別れして午後11時、帰宅。
<このブログ編集にあたり、参考にした書誌及び閲覧サイト>
◇「四国八十八カ所を歩く」 発刊:山と渓谷社 2006年2月初版1刷
歩き遍路を始めるにあたり購入した本 ¥1500+税
◇「四国八十八ケ所巡り」 発刊:昭文社 1997年1月1版10刷
歩き遍路を始めるにあたり同級生が貸してくれた本(¥1333+税)
◇「四国八十八カ所霊場」 発刊:NPO伊予路おへんろ倶楽部
◇「癒しの遍路旅」 発刊:愛媛新聞社月刊アクリート特集号
◇四国八十八所霊場会公式ホームページ
http://www.88shikokuhenro.jp/index.html
◇高野山真言宗金剛峯寺公式ホームページ
http://www.koyasan.or.jp/
◇四国島内各市町村ホームページ及び観光サイト
◇和歌山県各市町村ホームページ及び観光サイト
ご意見・ご叱正は jh5swz@gmail.com までお願い致します。
(ひと言)
このブログは、
「孝行がしたいときには親は無し」の歳になった一人のオトコが
(隔世遺伝でしょうか)
爺ちゃんが婆ちゃんと歩いたという四国霊場を歩いてみたくなり、
その道中日記を忘備録的に書き綴った日記であり、
いかなる団体企業、宗教とも無関係です。
あえて、宗教感につきましては、
心の中では仏教徒だと思っていますが、
正月には神社へ詣出、
お盆には墓参り、
X’masには孫に小さなケーキを送る器用さも持ち合わせております。
生まれた四国という島を歩いて一周してみたい気持ちと、
素晴らしい同行20人の仲間と
懐深い二人のお先達に恵まれ、
さらに加えて、この拙いブログをお読みの皆さまから
途中で脱落するわけにいかない程に沢山の激励メールを戴いたことが
ゴールに辿りつけた決め手だったと確信しております。
そうそう5年7ヶ月の間、
毎月1回好きなように歩き遍路に送り出してくれた女房殿には
あの 「柿の葉すし」1個のおみやげでは
とてもとても落とし前がつかないと、心から感謝しております。Hi
-門前の小僧-
2日目その4
数珠屋さん~奥ノ院御廟参拝
ふもとの慈尊院からお読みなりますか?
昼食後、おみやげを買ったり高野山上の町並みを散策、
しばらく自由時間を過ごしました。
遍路がよく似合いそうな町並みでした。
(私は、それほど買いません 買えません ^0^)
13:10 お参り身支度整えて塔頭(宿坊)が並ぶ高野町を奥ノ院へ歩きます。
13:25 刈萱堂(かるかやどう)をお参り
苅萱道心が出家し、実子、石道丸と父子を名乗ることなく、
ともに仏道修行に明け暮れたと伝わるお堂。
13:35 ほどなく奥ノ院表参道入り口「一ノ橋」です
「一ノ橋」全員集合!
ここで昨夜の夕食会で皆さん衆議一決した「写真屋さんの集合写真」を撮りました、
思えば平成18年4月7日、一番霊山寺を出発したあの日以来の”記念写真”でした。
この日はツアー元の別グループからの合流お遍路さん数名がご参加でした。
参道入り口
ここから約2キロは、歴史に残るオールスターの供養塔が続きます。
鶴田浩二さん、お参りし損ねました・・・
<表参道>一の橋~中の橋~御廟~納経所~<裏参道>~英霊殿~中の橋駐車場
参道を歩きながらのショットですから画像はパッとしませんが一部をご紹介します
標識の番号は高野山観光協会が1日¥500で貸出す「音声ガイド機」用の表示。
私達は同行のお先達に説明頂きましたが、専門ガイドさんは2時間¥6000とか。
明智さん、「敵は本能寺にあり!」って
「その敵」は、一体誰だったのですか?
と尋ねてみましたが・・・ 無言・・・
参道半ば、中の橋の傍に「汗かき地蔵尊」がありました。
地蔵尊は私たちの身代わりに罪を背負われ汗をかくのだそうです。
覗いて自分の姿が映らなかったら3年以内に×××と云う「姿見の井戸」がありました、
この類いの井戸は四国霊場のあちこちにもあり、ここが家元なのかと笑ってしまった。
13:50 覚ばん坂。
43段の緩い階段で、四二(死に)越えるという意味があるとかないとか・・・
14:00 通称「一番石塔」と呼ばれる崇源院(小督(こごう))の供養搭
奥の院参道最大の五輪搭で高さ6,6m 台座の広さ2,75㎡だと云う
小督(こごう)って、どなた様かお分かりですか?
<ヒント>浅井長政とお市の方の三女・二代将軍秀忠の妻・駿河大納言及び千姫の母。
<2011年9月21日・地元「橋本新聞>
この墓碑は1627年に三男の徳川忠長が建てたとされ、
それ以来法要は営まれていないらしく、
このほど384年ぶりに追善法要が営まれた。
と云う、ご当地大河ドラマ便乗供養と思われる複雑な記事を読みました。
384年ぶりてて、きっと崇源院(小督(こごう))さん、草葉の陰で苦笑い・・・
一番石塔のみならず、今は無縁仏となり苔むした五輪塔を含めて
30万基以上と云われる供養塔が延々と続きます。
因みに(手元資料によると)
二番石塔は安芸浅野家供養塔
三番石塔は加賀前田家供養塔
四番石塔は薩摩島津家供養搭。
ほか、天樹院千姫供養搭、浅野内匠頭・赤穂浪士供養塔、春日局供養塔等々・・・
(次の画像と関係はありません)
一段高い所には、史跡・豊臣家墓所が・・・
相変わらず名もないお地蔵さんが気になる門前の小僧です
恩讐を超えて、明智光秀さんと並べてあげたかったな~
ここでしかできない、積もる話しもあっただろうに・・・
夫々の生国或いは終焉の地には菩提寺・墓所があり、
ここは分骨供養の五輪塔と思われますが
一の橋から続く高野山奥の院参道とは
広大な墓地なのだ、と思うことにしました。
門前の小僧、
本日は弘法大師空海にお線香を手向けに参りましたので真直ぐ御廟へ進みます。
14:15 高野山奥ノ院御廟橋(ごびょうばし又はみみょうばし とも呼ぶらしい)
御廟橋の敷板石数36枚には37尊の諸仏諸菩薩の象徴が梵字で板裏に彫られており、
板数が一枚足らないのは橋全体を一つと見ているからだと言われている・・・とか。
弘法大師はここで参拝者を出迎え見送ると伝わり、
遍路は御廟に深く一礼するのが礼儀だと教わりました。
これより先「撮影禁止」につき、上の画像からせめて御廟前の燈籠堂をトリミング・拡大。
石段左手前に、檀上伽藍から数えて最終の36町石がありました。
御廟橋の欄干にドンと建つ
・禁煙
・写真撮影禁止
・飲食禁止
・浴衣・丹前・肌着での参拝禁止の高札
この先、石段を登り燈籠堂をお参り、
その奥の大師御廟で般若心経を納めるわけですが、
画像がなくて、くどくど長い文章になるのか・・・と、
色々資料を探していたところ
「月夜閑話」というブログに、管理者自身がお書きになったイラストがあり、
メールで転用をお願いしたところ、快くご承諾下さいましたので掲載させていただきます。
少々補足
❶ 御廟橋で合掌一礼
❷ 御廟の前室・燈籠堂礼拝(るぶぶ・comより)。
大師へ献上する2万個とも云われる燈籠が堂内いっぱいに下げられている。
1016年(長和5)、祈親燈は、俗称、貧女の一灯ともいわれ、
1088年(寛治2)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、
絶えることなく燃え続けている、と云うがどれがソレやら判らなかった。
ここで同級生から預かった写経88巻と自分の1巻を納め、家内安全お守りを受けました。
❸ 燈籠堂裏・御廟参拝(手元参考書より)
御廟は大師が承和2年(835)3月21日,62歳の時に入定された場所であり,
以後1200年間
地下の霊窟で生身のまま、人々を導き続けていると信じられている場所でもあり、
この霊窟には,延喜10年(910)弟子の観賢(かんげん)が入ったのを最後に,
今日まで足を踏み入れた人はなく、
数ある霊域の中でも筆頭にあげられる,神聖な場所だと言う事です。
御廟でお灯明を焚き20人で般若心経を奉納、不肖、門前の小僧も真面目に読経。
❹ 一巡して燈籠堂へ戻り、地下へ下り霊窟の正面にあたる場所で最後の般若心経を奉納。
❺ 参拝後、御廟橋からお見送りのお大師に合掌礼拝。
以上が奥ノ院におけるお先達の先導による参拝作法です。
聖域だから「一切撮影禁止」なのでしょうけど・・・、
提供戴いたイラストがなければ全容は闇の中・・・
月夜閑話さんありがとうございました。
御廟橋へ引き返し納経所前で奥ノ院参拝の余韻に浸りながら暫し休憩。
水向地蔵(みずむけじぞう)
御廟橋手前、水行場を背にして地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩などが安置されており、
夫々の仏像に水を注ぎ、先祖代々、亡き人々の冥福を祈る参拝者が絶えませんでした。
御廟橋下を流れる玉川の水行場
霊峰揚柳山から湧き流れる神聖な川で禊の場となっており、
雪の降る厳寒の水行場で、
胸まで清水に浸かり一心に般若心経を唱え、
厳しい修行を務める方々があると云う。
気温0度、水温3度、1回の水行は約15分とか・・・、
私にはとても耐えられない・・・
高野山参詣から5年・・・
平成28年2月、毎日新聞にこんな写真と記事が・・・
山に籠って修行中の高野山高校の学生さんと教師三人が
2001年2月ハワイ沖で、急浮上した米国潜水艦に衝突され
海に散った宇和島水産高校生の慰霊法要水行を厳寒の玉川で行った。
と言う記事を読んで胸が熱くなった・・・
転載のお断りができていませんので、詳細は毎日新聞記事を是非読んで欲しい・・・
高野山奥ノ院ご朱印ご本尊名は弘法大師
爺ちゃんのお守り 今回のお守り
昭和25年(1950) 平成23年(2011)
我が家は臨済宗ですが私はこだわりません、新旧「おふだ」を仏壇に並べて家内安全 合掌・・・
手元書誌の中に
「56億7千万年の後、弥勒菩薩がこの世に出られるまで、
生きとし生けるものすべてを見守る」と誓って大師は洞窟で入定された、
と云う稀有壮大なお話しがありました・・・。
5年7カ月、暑さ寒さを共にした白衣(びゃくえ)のご宝印
自己満足ながら、最上段に高野山奥の院
中段中央に一番霊山寺・左右に20番鶴林寺の鶴と39番延光寺の亀
下段なったが、結願の大窪寺
14:50 満願成就の参拝を終えた「がんばった歩き遍路」一同、満面の笑み
14:55 わが伊予藩のお殿様のお参りも済ませ
帰りは裏参道を歩きましたが、企業殉職者供養塔が並びます・・・
お先達さんが、昨日、大門から門前町へ歩きながら
「ガイジンさんにカメラを向けられことがありますが国際親善に努めて下さい」と言われましたが、
たしかに(笑)
金剛杖に白衣と菅笠の20人、たしかにガイジンさんには珍しい集団に見えるのかも知れません。
小僧: 「いくらですか?」
おじさん:「2000円」
小僧: 「素直に育つ苗を選んで下さい」
おじさん:「ワシに任すか?」
小僧: 「はい」
おじさん:「えらい素直やな~」
小僧: 「はい」
選んで貰った苗木がコレ。
(画像は帰宅後、庭のメダカ壺傍で撮影)
現在、玄関の小庭で
”門前の小僧お手植えの高野槇” なり。
蒲鉾板で高札を建てなくては・・・
妙に波長が合ったそのおじさんが
苗木を新聞紙に包みながら
「気をつけてお帰りよ」と、
握らせてくれた「交通安全御守」。
ほかにもお客さんは居たのに・・・
屋号も名前も聞いてないから
礼状も出せない・・・
「おじさん、
ありがとう、お元気で」。
おばさんが睨んでいたけど
あとで「サービス過剰や!」と
叱られんかったですか~(笑)
高野山参拝旅の忘れることのできない、ほのぼの出会いでした。
<高野槙その後>
ちょうど2年後の2013年10月31日、四国巡拝旅の終了後、
この旅の途中受けたお接待のお返しがしたくて入門させて頂いた
遍路茶屋・坂本屋へスペイン大使ご夫妻が体験遍路にお見えになった日、
将来、我が家の小庭では窮屈になるであろうと、許可を得て
坂本屋前の旧街道沿いの畑に移植、現在、すくすくと育っております。
15:30 駐車場で珠数屋四郎兵衛商店から届いたみやげ物を受け取り、
名残り尽きない高野山をあとにお遍路リムジンバスは四国へ出~発
2日間のツアー時程表
携帯の歩数計
11月3日 慈尊院から矢立まで 24942歩
11月4日 矢立から奥ノ院まで 24464歩
16:12 途中、「道の駅」紀ノ川万葉の里で買った”柿の葉すし”の美味しかったこと
3個 ¥310、あまりに美味だったので1個女房に持ち帰った門前の小僧
このあと、バスは何処をどう走ったのか、まったく????ですが、
関空から飛び立つ飛行機や神戸の百万ドルの夜景を海側から眺めながら爆走。
18:30~19:00 淡路サービスエリアで夜食・休憩
がんばった20人のチーム名(淡路SA)
がんばった20人の「お杖」(淡路SA)
一番奥、一番チビた緑の杖袋が私のお杖
淡路海峡大橋・鳴門大橋・松山自動車道を爆走、
長い間、励まし、励まされながら1150キロを歩いた皆さんとお別れして午後11時、帰宅。
長い間、このブログにお立ち寄り戴き、
コメント書き込みや
たくさんの励ましメールを戴いた皆さま
本当にありがとうございました。
四国一周と高野山参りを終えて、
大きな達成感と些かの虚脱感が五臓六腑を複雑に交錯しておりますが、
落ち着きましたら、
引続き「お遍路よもやま話」など書き綴ってみたいと思っておりますので、
時々、ブログ覗いてみて下さい。
ファイナルですから、緞帳の陰からマスク無しで正体バラします、
私が「門前の小僧」です(笑)。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ ってね
コメント書き込みや
たくさんの励ましメールを戴いた皆さま
本当にありがとうございました。
四国一周と高野山参りを終えて、
大きな達成感と些かの虚脱感が五臓六腑を複雑に交錯しておりますが、
落ち着きましたら、
引続き「お遍路よもやま話」など書き綴ってみたいと思っておりますので、
時々、ブログ覗いてみて下さい。
ファイナルですから、緞帳の陰からマスク無しで正体バラします、
私が「門前の小僧」です(笑)。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ ってね
1150キロ、歩き遍路への応援ありがとうございました。
合掌・・・ <このブログ編集にあたり、参考にした書誌及び閲覧サイト>
◇「四国八十八カ所を歩く」 発刊:山と渓谷社 2006年2月初版1刷
歩き遍路を始めるにあたり購入した本 ¥1500+税
◇「四国八十八ケ所巡り」 発刊:昭文社 1997年1月1版10刷
歩き遍路を始めるにあたり同級生が貸してくれた本(¥1333+税)
◇「四国八十八カ所霊場」 発刊:NPO伊予路おへんろ倶楽部
◇「癒しの遍路旅」 発刊:愛媛新聞社月刊アクリート特集号
◇四国八十八所霊場会公式ホームページ
http://www.88shikokuhenro.jp/index.html
◇高野山真言宗金剛峯寺公式ホームページ
http://www.koyasan.or.jp/
◇四国島内各市町村ホームページ及び観光サイト
◇和歌山県各市町村ホームページ及び観光サイト
ご意見・ご叱正は jh5swz@gmail.com までお願い致します。
(ひと言)
このブログは、
「孝行がしたいときには親は無し」の歳になった一人のオトコが
(隔世遺伝でしょうか)
爺ちゃんが婆ちゃんと歩いたという四国霊場を歩いてみたくなり、
その道中日記を忘備録的に書き綴った日記であり、
いかなる団体企業、宗教とも無関係です。
あえて、宗教感につきましては、
心の中では仏教徒だと思っていますが、
正月には神社へ詣出、
お盆には墓参り、
X’masには孫に小さなケーキを送る器用さも持ち合わせております。
生まれた四国という島を歩いて一周してみたい気持ちと、
素晴らしい同行20人の仲間と
懐深い二人のお先達に恵まれ、
さらに加えて、この拙いブログをお読みの皆さまから
途中で脱落するわけにいかない程に沢山の激励メールを戴いたことが
ゴールに辿りつけた決め手だったと確信しております。
そうそう5年7ヶ月の間、
毎月1回好きなように歩き遍路に送り出してくれた女房殿には
あの 「柿の葉すし」1個のおみやげでは
とてもとても落とし前がつかないと、心から感謝しております。Hi
-門前の小僧-
素晴らしい記事を読ませていただきました。
こちらまで感激しちゃいましたよ~
すごく詳細な説明記事で分かりやすくてよかったです。
一つの区切りですね~
これからはまたまたどこかにお参りですかね~
今頃どんなお気持ちで過ごされているのか気になったりもします。
また、素晴らしい記事をお待ちしています。
本当にお疲れ様でした。
素敵なお顔のお写真、見せていただきました。男前ですね~!
こちらまで感激しちゃいましたよ~
すごく詳細な説明記事で分かりやすくてよかったです。
一つの区切りですね~
これからはまたまたどこかにお参りですかね~
今頃どんなお気持ちで過ごされているのか気になったりもします。
また、素晴らしい記事をお待ちしています。
本当にお疲れ様でした。
素敵なお顔のお写真、見せていただきました。男前ですね~!
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jh5swz at 2011-11-22 13:49
バラさん
裏も表も本音で書き綴りました小僧のブログ、お褒めにあずかり光栄の至り、
裏を見せ表を見せて散るもみじ の心境です。
暫く充電させて頂きましたら、キット何処かを又徘徊するのでしょう、
アル中(歩き中毒)ですから。
-門前の小僧-
裏も表も本音で書き綴りました小僧のブログ、お褒めにあずかり光栄の至り、
裏を見せ表を見せて散るもみじ の心境です。
暫く充電させて頂きましたら、キット何処かを又徘徊するのでしょう、
アル中(歩き中毒)ですから。
-門前の小僧-
はじめまして。
歩き遍路をしたときのことを思い出しながら読ませていただきました。
僕は写真をとっていないので、すごくいいな~と思って写真をみさせていただきました。
いきなりのお願いなのですが、僕はお坊さんで、毎月1回地方新聞にコラムを書かせていただいております。
もう2年近い連載になりますが、今月より四国遍路編に突入いたしました。新聞社様より写真を毎月一枚は必ず載せてくれといわれているのですが、お四国のものは一枚もありません。
門前の小僧様のお写真を一、二枚使わせていただくことは可能でしょうか?
御無理なお願いかと思いますが、どうかよろしくご検討をお願いいたします。
合掌
歩き遍路をしたときのことを思い出しながら読ませていただきました。
僕は写真をとっていないので、すごくいいな~と思って写真をみさせていただきました。
いきなりのお願いなのですが、僕はお坊さんで、毎月1回地方新聞にコラムを書かせていただいております。
もう2年近い連載になりますが、今月より四国遍路編に突入いたしました。新聞社様より写真を毎月一枚は必ず載せてくれといわれているのですが、お四国のものは一枚もありません。
門前の小僧様のお写真を一、二枚使わせていただくことは可能でしょうか?
御無理なお願いかと思いますが、どうかよろしくご検討をお願いいたします。
合掌
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jh5swz at 2011-11-25 15:57
はじめまして、門前の小僧です。
5年7カ月、霊場巡拝道中小さなデジカメで撮った写真がご住職様のお役に立てるなんて大変光栄です。
記事中、<借用>・<提供>とお断りした画像以外でしたら、どうぞご自由にお使いになって下さい。
貴下HPも少し読ませていただきました、今夜改めてゆっくり拝見させて下さい。
取り急ぎご返事申し上げます。
5年7カ月、霊場巡拝道中小さなデジカメで撮った写真がご住職様のお役に立てるなんて大変光栄です。
記事中、<借用>・<提供>とお断りした画像以外でしたら、どうぞご自由にお使いになって下さい。
貴下HPも少し読ませていただきました、今夜改めてゆっくり拝見させて下さい。
取り急ぎご返事申し上げます。
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jh5swz at 2011-11-26 09:40
ブログ、ホームページ読ませていただきました。
内容てんこ盛りで、一度に読み切れませんので、しばらく夜な夜な続きを読みます、BGMが記事とのマッチングよろしく癒されます。
「縁とは めぐり愛」って最高ですね!
内容てんこ盛りで、一度に読み切れませんので、しばらく夜な夜な続きを読みます、BGMが記事とのマッチングよろしく癒されます。
「縁とは めぐり愛」って最高ですね!
「縁とはめぐり愛」この言葉でまた法話を書こうと思っています^^
しっかり読んでいただけて嬉しいです。
僕もこのブログをお気に入りに登録いたしております。
まだまだ更新されるのを期待しております。
更新されたら表示するように設定してあるのですよ(笑)
さて、本日27日の地元紙「日本海新聞」の地方欄におきまして、僕の連載中のコラムがびっくりするほどの紙面をとっていただいて掲載されました。
その中に門前の小僧様より許可をいただけましたお写真を早速1枚使わせていただきました。
来月にももう1枚使わせていただければありがたいです。
周りからもいい写真だと好評です。
またメールアドレス等、もし教えていただけましたら、新聞のコピーを添付してお送りしたいとも思っています。
ほんとうにありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします☆
しっかり読んでいただけて嬉しいです。
僕もこのブログをお気に入りに登録いたしております。
まだまだ更新されるのを期待しております。
更新されたら表示するように設定してあるのですよ(笑)
さて、本日27日の地元紙「日本海新聞」の地方欄におきまして、僕の連載中のコラムがびっくりするほどの紙面をとっていただいて掲載されました。
その中に門前の小僧様より許可をいただけましたお写真を早速1枚使わせていただきました。
来月にももう1枚使わせていただければありがたいです。
周りからもいい写真だと好評です。
またメールアドレス等、もし教えていただけましたら、新聞のコピーを添付してお送りしたいとも思っています。
ほんとうにありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします☆
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jh5swz at 2011-11-28 09:32
by jh5swz
| 2011-11-19 13:04
| 高野山結願報告参拝 20111103
|
Comments(8)