讃岐国分寺の思い出 2012・02/07
四国霊場国分寺のラストは香川県の国分寺です。
Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。
その3<讃岐国分寺>
四国霊場第80番 白牛山 国分寺 高松市国分寺町国分2065
参拝日:2011年4月1日
79番天皇寺(高照院)参拝後、1時間ほど歩いて綾川沿いの山下うどんで腹ごしらえ。


知る人ぞ知る山下うどんのお代は
「うどんを食べる人に悪人はいない」と云う
店主の心意気で
”トッピング自己申告制”でお支払い。
さすが、「うどん県」の山下さん!
満腹のうどん腹には少々堪えましたが、
その山下うどんから1時間歩くと第80番国分寺仁王門に辿り着きます。
手入れの行き届いた枝ぶりいいの松の木が、今も印象に残っています。

仁王門をくぐると長い参道の正面に本堂が見えます。

境内左右の松の生い茂る参道を進みます。

重厚な国分寺本堂です。
現存の本堂は9間四面の入母屋造りで鎌倉時代中期の建築。
本堂手前松並木の中に、奈良時代の金堂(講堂)跡を示す33個の礎石が、
実測間口(東西)十四間、奥行(南北)七間(天平尺)の大堂であった。
参道右手の七重塔の跡には15個の礎石が残っており、
五間四方(正方形)の塔で、京都東寺五重塔(高さ東洋一)以上の規模の大塔であった。 
(お断り)
青小文字測量データー及び想像イラストは<讃岐国分寺境内案内看板>から転記しました。
七重塔礎石中央の心柱礎石には鎌倉時代に建立されたという七重の石塔が建っていました。

これらの礎石群の規模と、この後見学した境内の遺跡などから、
ここは、全国の国分寺を代表する壮大な七堂伽藍であったことが十分に窺えました。
大師堂にも山門がある札所の記憶は他にありません・・・
門柱には、恭しくも”礼拝殿”とかいてあり、

堂内の一角の額縁を覗くように、お大師さまへお納経です。

お納経所を兼ねた、「撮影禁止」(あとで気がついたのです)の大師堂内は、
ご当地おみやげ品のほかお数珠、蝋燭、お線香、納め札はもちろん、
これ以上の種類は無かろうと思しきおびただしい各種お守りがところ狭しと陳列販売されており、
遍路はみやげ物陳列台の無いスペースを探し?小さくなってお経を唱えるが如しで・・・
さらに万引き監視よろしき目つきのおばさんの眼が、するどく360度回転しておりました・・・

大師堂参拝後、
外からゆっくり振り返れば、
それは多宝塔かと見まがうような
鉄筋コンクリートの二重塔であり
手前でネコが水子供養をしておりました。

大師堂山門右手に
願掛け金箔大師堂があり、
お納経所で
一金300円也の
小さな金箔を購入し
願い事を唱えながら
大師像に貼り付けると
願いが叶うのだそうです。
人それぞれですが、
遍路の身分で金箔を買って
大師像に貼り付けるなどとは、拝金主義?的で
私には理解できなかった・・・のでパス。
本堂裏手?には創建当時の広大な伽藍を囲んでいた築地塀の一部が復元してありました。
復元工事費は20mで2000万円とか・・・ へイ~~ 囲っこイイ???
資料館を見学のあと、一休みして、
正面の山を越えて81番白峰寺を目指した登り道は
金箔大師像に願いをかけなかった罰当たりかと思われるほどの難行苦行でした・・・

これで四国4県の国分寺シリーズを終わります。
市町村合併や町名変更で、各地で昔の地名が消滅していく傾向にある昨今ですが、
4つのお寺の所在地の地名に国府・国分・国分寺というアザ名がしっかり残っており、
それぞれの地域にお住まいの方々とお寺のかかわり合いの深さを感じたことです。
第15番国分寺 徳島市国府町矢野718-1
第29番国分寺 南国市国分546
第59番国分寺 今治市国分4-1-33
第80番国分寺 高松市国分町国分2065
追伸
(林屋木久扇さんの寒いダジャレじゃないですが)
ウイルスの怖さをサイキン知った私です。
皆さん、インフルエンザにご注意を!
Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。
その3<讃岐国分寺>
四国霊場第80番 白牛山 国分寺 高松市国分寺町国分2065
参拝日:2011年4月1日
79番天皇寺(高照院)参拝後、1時間ほど歩いて綾川沿いの山下うどんで腹ごしらえ。


知る人ぞ知る山下うどんのお代は
「うどんを食べる人に悪人はいない」と云う
店主の心意気で
”トッピング自己申告制”でお支払い。
さすが、「うどん県」の山下さん!
満腹のうどん腹には少々堪えましたが、
その山下うどんから1時間歩くと第80番国分寺仁王門に辿り着きます。
手入れの行き届いた枝ぶりいいの松の木が、今も印象に残っています。

仁王門をくぐると長い参道の正面に本堂が見えます。

境内左右の松の生い茂る参道を進みます。

重厚な国分寺本堂です。
現存の本堂は9間四面の入母屋造りで鎌倉時代中期の建築。

本堂手前松並木の中に、奈良時代の金堂(講堂)跡を示す33個の礎石が、
実測間口(東西)十四間、奥行(南北)七間(天平尺)の大堂であった。
参道右手の七重塔の跡には15個の礎石が残っており、
五間四方(正方形)の塔で、京都東寺五重塔(高さ東洋一)以上の規模の大塔であった。 
青小文字測量データー及び想像イラストは<讃岐国分寺境内案内看板>から転記しました。
七重塔礎石中央の心柱礎石には鎌倉時代に建立されたという七重の石塔が建っていました。

これらの礎石群の規模と、この後見学した境内の遺跡などから、
ここは、全国の国分寺を代表する壮大な七堂伽藍であったことが十分に窺えました。
大師堂にも山門がある札所の記憶は他にありません・・・
門柱には、恭しくも”礼拝殿”とかいてあり、

堂内の一角の額縁を覗くように、お大師さまへお納経です。

お納経所を兼ねた、「撮影禁止」(あとで気がついたのです)の大師堂内は、
ご当地おみやげ品のほかお数珠、蝋燭、お線香、納め札はもちろん、
これ以上の種類は無かろうと思しきおびただしい各種お守りがところ狭しと陳列販売されており、
遍路はみやげ物陳列台の無いスペースを探し?小さくなってお経を唱えるが如しで・・・
さらに万引き監視よろしき目つきのおばさんの眼が、するどく360度回転しておりました・・・

大師堂参拝後、
外からゆっくり振り返れば、
それは多宝塔かと見まがうような
鉄筋コンクリートの二重塔であり
手前でネコが水子供養をしておりました。

大師堂山門右手に
願掛け金箔大師堂があり、
お納経所で
一金300円也の
小さな金箔を購入し
願い事を唱えながら
大師像に貼り付けると
願いが叶うのだそうです。
人それぞれですが、
遍路の身分で金箔を買って
大師像に貼り付けるなどとは、拝金主義?的で
私には理解できなかった・・・のでパス。
本堂裏手?には創建当時の広大な伽藍を囲んでいた築地塀の一部が復元してありました。
復元工事費は20mで2000万円とか・・・ へイ~~ 囲っこイイ???

資料館を見学のあと、一休みして、
正面の山を越えて81番白峰寺を目指した登り道は
金箔大師像に願いをかけなかった罰当たりかと思われるほどの難行苦行でした・・・

これで四国4県の国分寺シリーズを終わります。
市町村合併や町名変更で、各地で昔の地名が消滅していく傾向にある昨今ですが、
4つのお寺の所在地の地名に国府・国分・国分寺というアザ名がしっかり残っており、
それぞれの地域にお住まいの方々とお寺のかかわり合いの深さを感じたことです。
第15番国分寺 徳島市国府町矢野718-1
第29番国分寺 南国市国分546
第59番国分寺 今治市国分4-1-33
第80番国分寺 高松市国分町国分2065
追伸
(林屋木久扇さんの寒いダジャレじゃないですが)
ウイルスの怖さをサイキン知った私です。
皆さん、インフルエンザにご注意を!
by jh5swz | 2012-02-07 17:27 | その後のつれづれ日記 | Trackback | Comments(0)


