53番円明寺から52番太山寺へ

昨秋、四国一周歩き遍路を無事終えて高野山もお参りした私たちは
このまま「バイバイ サヨナラ」できるハズがなく、
五年七ヶ月のお付き合いの余韻をさらに細く長く楽しみたいと
2月8日、某市某所で遍路紀行スライド上映会と新年会を開き、
グループ名を「がんばる歩き愛媛4期」から「歩き遍路四季の会(仮称)」と改称。

続いて、
3月9日、うるう年の世間お遍路さんの真似事ではないのですが、
第53番~第52番への逆打ち参拝体験を織り込んで約18㌔の歩き遍路を行い、
高浜観光港近くの白石の鼻巨石群探訪と小説坊ちゃんのターナー島観光も楽しみ、
700Kcal のカロリー消費と50g の脂肪燃焼に努めて帰りました。

「歩き遍路四季の会(仮称)」早春遠足地図
歩いた日 2012年3月9日(金) 青線は雨・・・赤線はうす曇・・・
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集合場所・高浜観光港フェリー乗り場  08:45
朝5時に小倉から接岸したフェリーくるしま
     4273トン 全長119m 型幅21m 航海速力18.0kt
     旅客定員756名 積載能力(乗用車41台・トラック73台)
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出発前のミーティング
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いざ出発 09:15
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高浜漁港をあとに
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ほどなく、白石の鼻へ到着 09:45
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波洗う遊歩道を慎重に渡り
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白石龍神社を参拝(海に面しているので?壁面はありません)
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神社の沖合い数十メートルの巨石(三ツ石)
昔 昔 人の手により創られたとも・・・
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神社傍にある二つ岩(亀岩?)
波に浸食された砂礫の中の大岩が残ったとも・・・
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諸説紛々の巨石群ですが、
以下、撮影した<遊歩道の看板>より原文のママ

 北側の海岸から三ツ石を真西に臨むと、三ツ石の空洞には、季節の分点である春分から一週間、
秋分までの一週間、日の入り直前の夕日が差し込み海上の反射光が龍の如く光る美しい自然現象を見せます。
 また、夏至、冬至の夕日に合わせた観測ポイントも存在し、ここ白石の鼻巨石群がイギリスのストーンヘンジのように古代の天体観測施設としての可能性・謎を秘めています。
 私たちは、ここに新たな歴史的価値を再発見しながら、地域の人々とこの美しい景観を大切にし、
後世に伝えて行きたいと考えています。        松山・白石の鼻巨石群調査委員会


どうやら、知る人ぞ知る隠れたパワースポットのようです。
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            上の画像は 《松山 白石の鼻巨石調査委員会》HPより。
    このHPには、ロマンあふれる巨石群調査の詳細記事が満載です、是非ご覧下さい。
            巨石に夕日が差し込む季節にもう一度行ってみくなりました。

巨石群と神社をあとにして  10:00
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えひめリトルリーグ専用球場通過  10:10
   わが「歩き遍路四季の会」のT・Tさんが総監督をされており、
   現在、北海道日本ハムファイターズで活躍中の鵜久森敦志選手はじめ、
   海側から打てば山へ、山側から打てば海へ打球が飛ぶ選手もあって、
                            ボール探しに苦労した と監督。
   グランドの小石拾いや球場周りの草刈りに苦労した と監督夫人(写真)。
   
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      鵜久森選手には、今年こそ再々スポーツ面の見出し記事になって欲しいものです。
                                          -門前の小僧-



勝岡の運転免許センターでトイレ休憩させて頂いた後、
円明寺奥の院へ
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奥の院お納経  10:35
運転免許センターへは数年に一度必ず行きますが、こんな近くに奥の院があるとは・・・
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松山市無形文化財”一体走り”で名を馳せる勝岡八幡神社  10:50  
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”一体走り”の様子(画像・記事とも神社庁資料より)
f0213825_1713272.jpg 勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜され、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した際、裸の若者たちが塩を担いで御用船まで運んだことが、神事として伝承されてきたものであるという。
 地区毎に赤・青・黄に色分けされた「御絹(おきぬ)」と呼ばれる覆い布と鈴のついた神輿を、御絹と同色の褌を締めた青年9~10名が担ぎ、鈴が鳴らないように振動を抑えて参道を駆け抜ける姿は勇壮そのもの。

 尚、「一体走り」とは神輿と人が一体となって走るという意味ではなく、神輿を一体づつ担いで走ることからそのように呼ばれるようになったとのこと。




第53番円明寺  11:20
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中門と本堂
f0213825_1292476.jpg        ご朱印
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        2回目の霊場めぐりを夢見て新しい納経帖を買いました ↑


53番から52番太山寺へ、うるう年の逆打ち体験
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  <逆打ち私見>
    うるう年に四国88ヶ所を逆に回ると
      縁起がいいとか
      弘法大師に会えるとか、いろいろ話を聞きますが、
    信心とか信仰の深さやご利益の大小に差などあろうはずがありません。
    もっとも私は最後まで、健康・観光・ちょっと信仰で歩きましたが・・・

    たった一度の順打ち体験から云うと、順打ちだとたまたま一緒になった人と、
   共に歩いたり、或いは先になり後になり歩き、名刺代わりに納め札を交換し、
   親しくなれたという思い出があります。
    一方、逆打ちだと、多くの順打ちお遍路さんとスレ違いの出会があるハズですが、
   会うのはその時だけなので、一期一会の想いはひとしおではなかろうかと思います。

        
      
円明寺から歩くこと約30分で太山寺一ノ門  12:30
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仁王門  
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三の門
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第52番太山寺本堂  13:00
 いつものことながら、本堂全景を撮ろうとすると、三の門の中まで後すざりしてしまう・・・
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お納経
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大師堂(遥拝通路?に新しい屋根ができていました)
 納経先達はT・Tさん、息もピッタリの花木魚はT・Tさんの奥さん
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お納経所へ
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念ずれば花ひらく -坂村真民・詩碑-
(2012・3/10 癒しの詩人 坂村真民記念館がオープンしました)
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紅白のナンテン
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太山寺から高浜へのへんろ道
害対策工事のためこの墳墓を改葬するぞよ。使用者、縁故者、権利者は1年以内に名乗り出よ。
名乗り出なき場合は無縁仏として改葬致し候。と、松山市お代官様の高札

なんとも優しく至れり尽くせりのお代官様ではないか!
「名乗り出るわけなかんべ~・・・」と、寂しそうな仏さんに暫し合掌した門前の小僧。
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小さな峠を越えて出発した高浜をめざします 14:14

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海月山 梅津寺  14:40
地元では駅名や公園名でよく聞く「梅津寺」だったが、ほんとにお寺があったとは、不勉強の至り!
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坊ちゃん列車 14:45
明治21年(1888)、四国初の鉄道として松山~三津駅で伊予鉄道が開業、
明治25年(1891)、三津から高浜まで延長、松山城下と港が結ばれ、以来活躍した蒸気機関車。
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夏目漱石の小説坊ちゃん(明治39年発表)で”マッチ箱のよう”と書かれ「坊ちゃん列車」と呼ばれるようになったが、昭和20年代の電化に伴い引退、現在、鉄道記念物として梅津寺公園内に保存されている


その坊ちゃんが「乗ってみるとマッチ箱の様な汽車だ。」と言った当時の列車を忠実に復元し
現在、松山市内を実際に営業運転中の坊ちゃん列車、ディーゼルエンジンで煙は蒸気で再現。
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                             2004年7/8 撮影:門前の小僧

伊予鉄高浜線を越えてターナー島へ
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中学生の頃、夢中で読んだ夏目漱石著「坊ちゃん」より 野だいこ と 赤シャツの会話
 <新潮文庫 昭和25年発行 昭和34年34刷 定價50圓 45ページ>
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これが そのターナー島(現・四十島)  15:05
小説 「坊ちゃん」では「青嶋」として登場、
是は人住まない島だそうだ。よくみると石と松ばかりだ。”と書かれている。

一時、松くい虫や風害で松は枯渇してしまい、地元篤志家の手により松が植栽され、
往年の景観を復元する努力がなされているが、元々岩礁のうえ、地質がもろく、
復元をさらに継承していくため、2005年に所有権が愛媛県から松山市に移された、と聞く。
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瀬戸の島々へのフェリー乗り場「高浜港」
ぷうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。
船頭は真つ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。
(夏目漱石 坊ちゃんより)
                         と坊ちゃんが降りたのはこの港?
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フェリー乗り場前の歩道を渡れば伊予鉄高浜駅  15:20  
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坊ちゃんも乗降した?伊予鉄電車のりば 
停車場はすぐ知れた。切符も譯なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。
ごろごろと五分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない。
道理で切符が安いと思った。
たった三銭である。
  (夏目漱石 坊ちゃんより)
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今は海側に立派な道路が出来ていますが、あえて高浜の古い町並みを通り抜けて
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「高浜観光港」ターミナル前でゴールイン  15:40
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本日の携帯電話データー
   歩数 25,352歩
   距離 17,9㌔
   消費カロリー 700kcal
   脂肪燃焼 50g

フェリーくるしま
小倉から早朝5時に接岸した「くるしま」は、
夜9時55分、小倉へ向かってイカリを上げるまでずっと停泊中、
かって、僚船「はやとも」と瀬戸内海をピストン往復していた花形だった・・・
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瀬戸内海に3本の大橋が出来て以来、
かって、北九州小倉や別府~松山~神戸(大阪)間の大型フェリーが頻繁に寄港した
往年の「松山観光港」の面影を見ることはできません・・・
修学旅行、盆暮れの帰省、新婚旅行、フムーン旅行、商用、放浪、逃亡? etc  etc
港には人それぞれに語り尽せない思い出がたくさんあろうことと想像しますが・・・
その海の駅が寂れるのはつらいことです。

「橋と船」は「矛と盾」なのでしょうか?
両雄相並び立たずなのでしょうか?
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by jh5swz | 2012-03-14 14:08 | その後の徒然遍路 | Comments(0)