2017年 05月 03日 ( 1 )

平成29年4月30日(日)午後、46番浄瑠璃寺の鎮魂碑と牡丹園へ。

 火渡りやパソコンサロンばかりでは敷居が高くて表札が変わってもいけませんので、
46番浄瑠璃寺さんの牡丹が満開という風の便りに期待して女房奉公。

13:37 第46番浄瑠璃寺到着、
    春夏秋冬、いつお参りしても 何時もきれいな境内参道。
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  参道正面に本堂
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    右の木立の中に大師堂が並びます
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   本堂と大師堂は回廊でつながっています、今日も参拝者が絶えません。
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 本堂左を裏手にほんの少し歩くと、
 最近、境内から移設工事の終わった「鎮魂の皿碑」が見えます。

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  この「鎮魂の皿」は、
   太平洋戦争で亡くなった地元久谷出身者の慰霊のため
  郷土史家相原熊太郎が遺族の家を一軒一軒訪ねて巡り、
  戦死者の人となりを四行詩にまとめ、それを皿に焼付け、
  準備は整ったが多額の建設費用が集まらず計画は頓挫、
  300枚の皿は寺の床下に入れ置かれた。
   爾来25年、人々の記憶から忘れ去られていた・・・
  昭和49年、NHKの遍路番組取材班が床下から発見し、
  撮影、編集し全国放送され大きな反響を呼んだ。
   放映を見た地元の診療所三好かつみ先生は寺と諮り
  この慰霊塔建設に尽力された。
   仏教の六道にヒントを得て、六角の塔の六面の壁面に
  300枚の皿を填め込むことに苦労を重ねて完成させた
  地元の石材彫刻店 相原誠一さんは、るり観音を刻み
  塔の上部に安置した。
  (「伊予久谷界隈はええとこぞなもし・(株)エーシー出版」
    山野芳幸氏著を参照、編集させて頂きました)
  
  
  
          
   平成25年夏、浄瑠璃寺境内の木立の中に建立されていた鎮魂の皿碑は、
   三代目相原石材店主 相原誠則さんの手によって、この造園された牡丹園の中央へ移設されました。  
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                              (平成27年夏、移設工事中の撮影です)

                  一枚 一枚 お一人 お一人の四行詩
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                                お名前の一部をマスクさせて頂きます。


   私は浄瑠璃寺参拝の度、南方の海に散った叔父のことを思いながら、この鎮魂の皿をお参りするのですが、
     今回、鎮魂碑の正面中央に埋め込まれた次の一枚を初めて見つけて思わず唸ってしましました。
     終戦直後、地元遺族の人々の戦没者への鎮魂の思いと「平和」への執念を見た思いがしました。
                       合掌・・・ 
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         どうぞ浄瑠璃寺参拝の折には、あと一歩足を伸ばしてこの鎮魂碑もお参りして下さい。 


    さて、ここからが女房孝行?   
    この碑を中心に新しく造園された「牡丹園」は、今が盛りと将に百花繚乱の園でした。
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花に酔って候。

編集中


by jh5swz | 2017-05-03 14:42 | その後の徒然遍路 | Comments(0)