カテゴリ:46番から51番石手寺( 1 )

松山市内霊場六ヶ寺巡拝

歩いた日>第45回・2010年 2月 5日 晴れ
コース>第46番浄瑠璃寺~第51番石手寺まで
             14,1Kキロ(第1番霊山寺から延べ776,9K) 
       ・・・巡拝するお寺が多いので歩行距離は伸びません・・・  
疲労度>☆☆☆☆☆


08:30 前回ゴール地、浄瑠璃寺本堂脇で準備運動 
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08:40 いざ、出発! 
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08:45 知る人ぞ知る 八坂城!
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わずか1K足らず、ほどなく47番八坂寺参道へ  
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f0213825_753312.jpg     八坂寺伽藍図
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  寺名ロゴ及び伽藍配置図は、
 ”NPO伊予路おへんろ倶楽部」発行の冊子より



08:50 八坂寺極楽橋、正面に本堂
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第47番 熊野山 八坂寺(くまのざん やさかじ)本堂
寺号は、創建にあたって八つの坂道を切り開いて道を造ったことに因むと伝わる
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大師堂お納経
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八坂寺ご朱印
f0213825_109376.jpg      念ずれば花開く-坂村真民句碑-
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09:30 八坂寺近くの別格9番 文殊院得盛寺(もんじゅいんとくせいじ)
遍路の開祖といわれる衛門三郎(えもんさぶろう)の屋敷跡だと伝えられる
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近くの田んぼの中には衛門三郎の八人の子供の墓といわれる八塚がある
f0213825_1020395.jpg  強欲非情な豪族?衛門三郎は、
  托鉢に訪れた弘法大師に乱暴な態度をふるまい、
  8人の子供たちを失って改心した三郎は
  天罰の許しを乞うべく弘法大師を追って
  21回も四国巡礼を重ね、
  第12番焼山寺近くでようやく大師に会えて  
  許しを叶えて息絶えたという伝説上の人物。

  伝説とはいえ、子供八人が亡くなってしまうとは・・・?
  弘法大師の怨念でもあるまいに・・・

  なお、この伝説物語は第51番石手寺まで続く・・・


文殊院から少し歩いたところにある、八人の子供の墓と伝わる八塚の一部(後方三つの小さな塚
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       杖杉庵の像を見て、三郎の屋敷跡を参拝し、八塚の傍を歩くと、
       この物語は”伝説なのか史実なのか?” まか不思議な気持ち・・・


10:20 その衛門三郎が弘法大師を訪ねる巡礼を始めたお堂?  
       衛門三郎が、自分が大師を探し追ってお参りしたことが分かるようにと、
       お堂に「さば札」という札を貼り始めた大師堂で、
       その「さば札」が現在の「納め札」の始まりだそうだ。

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                     昔の納め札
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現在の納め札(資料)
f0213825_17325777.jpg  巡礼回数で決められており
  1~4回は白
  7回までは緑
  24回までは赤
  これ以上は銀・金
  100回以上は錦

  
  納め札は、お接待のお礼や遍路同士が名刺代わりに交換するときにも使われます。


10:35 重信川を渡り
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10:45 「イチゴ取るな」と立札があったので「イチゴ撮りました」
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10:50 全国名水百選、弘法大師ゆかりの杖ノ淵(じょうのふち)
        巡錫中の弘法大師がこの地を通りがかった際に、住民が干魃に苦しんでいた。
        これを見た大師がここに杖を突き立てると清水が湧き出たという。
        以後、清水は尽きることなく湧き出て淵となった。
        この伝説から「杖ノ淵」と名付けられ現在、公園になっています。

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f0213825_825134.jpg      西林寺伽藍配置図
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11:00 第48番西林寺仁王門
     仁王門は門前の小川の土手より低い所にあり、
     罪ある者が奈落へ落ちてゆく無間地獄にたとえたり、この寺を伊予の関所寺と言ったりする。

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弘法大師のお出迎えを受けて
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第48番 清滝山 西林寺 本堂(右、大師堂)
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 ご朱印
 私の家に近いものだからお参り回数も多いf0213825_1056503.jpg
      境内、福授地蔵前の紅梅
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      西林寺を出発、小野川にかかる遍路橋を渡って200mで私の家。
      女房と前の散髪屋の奥さんが熱い茶を用意して待っててくれた。
      遍路が実家の前のへんろ道を歩く、女房がお接待をする、
       (という構図もザラにはなかろう?)
      ちょっとテレました。
      ”お接待ありがとうございました”です。


12:07 西林寺から3K、
      伊予鉄郊外線の踏み切りを渡ったところで一旦打ち止め、
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                     踏切の向こう200mが49番浄土寺なのだが・・・

46番浄瑠璃寺前の遍路宿までバスで引き返し昼食・休憩。 
f0213825_11151859.jpg    わざわざ引き返すほどのメニューではなかった・・・
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13:30 昼食後、バスに乗った場所まで引き返して遍路再開 
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               この信号がまったく歩行者無視でなかなか渡れない・・・

f0213825_843893.jpg        浄土寺伽藍配置図
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13:33 第49番 西林山 浄土寺本堂
       水色の奉納幕が鮮やかでした。 
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    盗難防止策だろうか?
      お賽銭箱が正面扉の中にあり、格子の穴から納めなければならない・・・
      そもそも遍路の喜捨浄財なのだから、いわんや悪人?にも恵んであげたら? 
                    と、門前の小僧のつぶやき。 
         
   ご朱印
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          浄土寺ゆかりの空也上人像
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    踊念仏の開祖、空也上人がこの寺に3年ほど滞在(957~960)し、
   この地を去るとき、里人の願いで刻んだ自像は寺に現存する(重文)。


14:00 浄土寺~日尾八幡神社~繁多寺への移動中、
東道後温泉そらともり」の壁ガラスに映ったチームの皆さんです。
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f0213825_8313372.jpg       繁多寺伽藍配置図
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14:30 50番繁多寺山門到着
     隠遁した剣豪でも住んで居そうな閑静な門構えが大好きです。
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第50番 東山 繁多寺(ひがしやま はんたじ)本堂  
      一遍上人ゆかりの寺で、地元では「はたでら」と呼ばれ親しまれています。
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ご朱印
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        鐘楼の天井絵
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15:45 東野住宅地の中のへんろ道を3Kほど歩くと石手寺
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f0213825_8332586.jpg         石手時伽藍図
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中世建立の堂々とした伽藍の軒が並びます



左右に参拝記念品などを売る店が並ぶ石手寺の屋根付き参道
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国宝 51番石手寺仁王門(文保2年・1318建造)
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重文・第51番 熊野山 石手寺(くまのざん いしてじ) 本堂
道後温泉の近くにあり、四国霊場の中でも随一の国宝・重文を有する名刹。
寺号「石手寺」は衛門三郎伝説の結末に因むとのこと

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16:00 大師堂内陣にてお納経
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      絶えないお遍路さん
f0213825_12253485.jpg         ご朱印
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重文・三重塔
f0213825_12395780.jpg     三重塔の切手
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    切手に描かれた「世界万灯会」は、
    この寺で、毎年大晦日に
    世界平和を祈願し盛大に行われる行事です。





道後温泉の足湯
f0213825_13395385.jpg    恐ろしい名前?の石手寺名物
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さて、文殊院得盛寺で書きかけた衛門三郎伝説の結末・・・
寛永4年(892)道後湯築(ゆづき)城主河野息利(やすとし)に男児が生まれたが、
生後3年経っても左手が開かないので安養寺住職に祈祷してもらうと手が開き、
中から「衛門三郎再来」と書いた小石が出てきた。
その子こそ、天長8年(831)に焼山寺山中で息絶えた衛門三郎の生れ変りで、
これに因み、寛平4年(892)、安養寺は石手寺と寺号を改めた。
その石は「玉の石」と呼ばれ寺宝として寺に伝わっている。   
       ~~~  ~~~ ~~~ ~~~
伝説の人物が実在城主の子として”小石を握って”生まれ変わった という結末。
「ウソだ~?」と詮索するより、「へ~~」と驚いておく方が平和でよろしい!?
何でもありで懐の深~い四国霊場巡りの旅なのですから~


本日の足あと
46番浄瑠璃寺⇒1K⇒47番八坂寺⇒5,5K⇒48番西林寺⇒3,2K⇒
⇒49番浄土寺⇒1,7K⇒50番繁多寺⇒2,8K⇒51番石手寺
by jh5swz | 2010-07-01 16:13 | 46番から51番石手寺 | Comments(0)