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空海師生誕地善通寺参拝

歩いた日>第56回・2011年2月4日  晴
コース> 三豊市発 第71番弥谷寺~第75番善通寺15,2キロ 
疲労度> ★★☆☆☆ 


その4>空海生誕地 75番善通寺参拝
その1>出発地から読む ⇐クリック

f0213825_1146321.jpg  甲山寺参拝、休憩後
  本日最後の札所
  大師誕生院・善通寺までは1,6K。

  善通寺は
  高野山、総本山東寺とともに
  空海三大霊場と謂われ、
  伽藍の規模、境内の雰囲気ともに
  独得のものがあると聞き及びます。


16:10 甲山寺前の橋を渡って善通寺市街を目指し出発。
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16:20 弘法大師幼時霊場 番外札所仙遊寺
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  弘法大師幼少のころ
  ここで泥土で仏像を作り、
  草で作った小さな御堂に
  祀って遊んでいたと云う。
  この寺は、
  子供の夜泣きに
  霊験あらたかとか・・・


16:25 善通寺市史跡「犬塚」
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旧道を行く歩き遍路の楽しみらしい、名物カタパン屋、
「本日売り切れ」の看板が風にゆれていました・・・ ざんね~ん。
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    創業明治29年(1896)の老舗、仁王門近くで昔ながらの自家製カタパンを販売している。
    手作業でつくる独特の味と食感は秘伝、名物カタパンは噛むのも困難なほど硬い。と云う。
                                -善通寺観光マップより-

                             
16:35 第75番善通寺到着 
  以下、建造物などの説明は善通寺観光栞、文化庁データーベース等を参考にさせて頂きました。
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<寺名由来>
 弘法大師空海の父の名前は佐伯直田公善通(さえきのあたいたぎみよしみち)と云う
讃岐国造(くにのみやっこ)に任じられた地方の豪族だった。
 大同元年(806)唐から帰国した空海は佐伯一族の氏寺として伽藍の建立を発願し、
父、佐伯善通から45万㎡の広大な敷地を譲り受けて、弘仁4年(813)七堂伽藍を
完成させた。
 背後に連なる香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山の五岳が屏風ように見える
ことから、「屏風ヶ浦五岳山」と号し、寺名を父、善通の名から「善通寺」とした。
                       (手持参考書より取捨選択して編集)
 
   長~い修行中の苦労は計り知れないものがあったと思いますが、
   巷間伝わる”お遍路空海”のイメージと異なり、幼少の砌りは
   豪族父母の寵愛を受け乳母日傘で育った時代もあったようで
   「な~んだエエとこのボンボンだったのか」などと、意外でした。


広い駐車場から済世橋を渡り境内に入ります
 橋は大師が留学した洛陽の天津橋を模し、渡る人の罪障消滅を祈願するものだという。
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善通寺伽藍絵図
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                        (画像帰属「香川県の観光」サイトより)
       広大な境内は東西2院に分かれ、
       東院は金堂を中心に五重大塔、五社明神、鐘楼、三帝御廟など、
       西院は御蔭堂を中心に勅使門、聖霊院、護摩堂、表書院などが並び
       南正門に南大門、東に赤門、西は中門から誕生院に通じています。

       東西院の中央を縦断する市道に面した中門をくぐる
       入母屋造り本瓦葺き、左右に袴腰を設け、梁には雲龍や鶴が彫ってあり、
         軒は総反りで垂木を扇型に配し、優美で特異な外観をもつ国指定文化財。
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       中門の左右に五百羅漢が並びますが、
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       山中に並ぶ雲辺寺五百羅漢の方がはるかに趣きがありました・・・
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      総本山善通寺正門にあたる南大門の奥に金堂(本堂)が見えます。
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      南大門をくぐると右に五重塔
      創建以来、台風や火災で度々倒壊焼失を繰り返したが、
      現在の塔は弘化2年(1845)着工、
      明治35年(1902)に竣工したという高さ45m、総欅造りの大塔。
        
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          塔の中心を貫く心柱が鎖でつり下げられ、
          礎石から約6センチ浮いた「懸垂工法」で
          全国でもあまり施工例のない珍しい木造塔だという。
          先人はなぜ柱を浮かそうと考えたのだろう。

 南大門の左の樹齢千年を越えると云う大楠。
   弘法大師が真魚(まお)と呼ばれたお坊ちゃま?の頃、
         既に大木だったこの樹に登って遊んでいたと伝わる。

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東院の中心に第75番 五岳山 善通寺金堂(本堂) 
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金堂お納経後、中門から引き返して西院の仁王門をくぐり
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大師堂への回廊(参道)を進み
 天井には弘法大師の生涯?を描いた額がズラりと。
         左手みやげ屋さんで参拝記念に般若心経を染め抜いた手拭いを購入。
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御影堂(大師堂)へ
  空海師が生まれた佐伯家邸宅地に建ち、地下には約100mの「戒壇めぐり」があり、
  真っ暗闇の中、壁を伝って宝号を唱えながら大師を訪ねる修行の場となっている。
   全山5時閉門とて、「戒壇巡り」は来月と云うことになりました。

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16:55 弘法大師誕生場 御影堂お納経 
     (滑り込みセーフ)
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善通寺ご朱印
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         切手(金銅錫杖頭)
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  納経帳左上丸い朱印は、初参拝した空海生誕1200年大祭(昭和49年)の訪印。
 当時、会社勤めで四国内を車で出張しながらの「サラリーマン乱れ打ち」でした。
  納経帖は昭和46年9月7日、1番霊山寺前の取引先の奨めで買った年代もの

  切手の意匠は、唐に留学中の大師が恵果和尚から真言宗後継者の証しとして
 授けられた国宝「三国伝来金銅錫杖頭」。


今回の足あと
三豊市六ツ松から善通寺まで 15,2K
第1番霊山寺から通算歩行距離989K



     善通寺市は善通寺の門前町として栄えた町で、
    サラリーマン時代にお世話になった南大門前のお取引先を、
    ん十年ぶりに訪問、しっかり覚えていて下さりお接待を受けたことです。
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     ところで、
     霊場八十八ヶ寺の寺名が「市」の名前になっているのは、
     観音寺市と善通寺市の2市だけですね~?
     もっとありそうなものですが・・・
         あってもいいと思うのですが。
by jh5swz | 2011-02-13 12:13 | 75番善通寺 | Comments(5)