四国霊場国分寺のラストは香川県の国分寺です。

Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
  国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
  国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。

その3<讃岐国分寺>
四国霊場第80番 白牛山 国分寺 高松市国分寺町国分2065
参拝日:2011年4月1日

79番天皇寺(高照院)参拝後、1時間ほど歩いて綾川沿いの山下うどんで腹ごしらえ。
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    知る人ぞ知る山下うどんのお代は
    「うどんを食べる人に悪人はいない」と云う
    店主の心意気で
    ”トッピング自己申告制”でお支払い。
    さすが、「うどん県」の山下さん!


満腹のうどん腹には少々堪えましたが、
その山下うどんから1時間歩くと第80番国分寺仁王門に辿り着きます。

手入れの行き届いた枝ぶりいいの松の木が、今も印象に残っています。
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仁王門をくぐると長い参道の正面に本堂が見えます。
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境内左右の松の生い茂る参道を進みます。
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重厚な国分寺本堂です。
現存の本堂は9間四面の入母屋造りで鎌倉時代中期の建築。 
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本堂手前松並木の中に、
奈良時代の金堂(講堂)跡を示す33個の礎石と、
金堂は実測間口(東西)十四間、奥行(南北)七間(天平尺)の大堂であった。

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参道右手には、
七重塔の跡を示す15個の礎石が残っており、
七重塔は五間四方の塔で、京都東寺五重塔(高さ東洋一)以上の規模の大塔であった。 
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       お断り)測量データー及び想像イラストは<讃岐国分寺境内案内看板>から転記しました

七重塔礎石中央の心柱礎石には鎌倉時代に建立されたという七重の石塔が建っていました。
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これらの礎石群の規模と、この後見学した境内の遺跡などから、
ここは、全国の国分寺を代表する壮大な七堂伽藍であったことが十分に窺えました。


大師堂にも山門がある札所の記憶は他にありません・・・
門柱には、恭しくも”礼拝殿”とかいてあり、
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堂内の一角の額縁を覗くように、お大師さまへお納経です。
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お納経所を兼ねた大師堂内は、
ご当地おみやげ品のほかお数珠、蝋燭、お線香、納め札はもちろん、
これ以上は無かろうと思しきおびただしい各種お守りがところ狭しと陳列販売されており、
遍路はみやげ物陳列台の無いスペースを探し?小さくなってお経を唱えるが如しで・・・
さらに万引き監視よろしき目つきのおばさんの眼が鋭く360度回転しておりました。

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  大師堂参拝後、
  外からゆっくり振り返れば、
  それは多宝塔かと見まがうような
  鉄筋コンクリートの二重塔であり
  手前でネコが水子供養をしておりました。

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  大師堂山門右手に
  願掛け金箔大師堂があり、
  お納経所で一金300円也の小さな金箔を購入し
  願い事を唱えながら大師像に貼り付けると
  願いが叶うのだそうです。

  人それぞれですが、
  遍路の身分で金箔を買って
  大師像に貼り付けるなどとは、拝金主義?的で
  私には理解できなかった・・・のでパス。     


 本堂裏手?には
 創建当時の広大な伽藍を囲んでいた築地塀の一部が復元してありました。
 復元工事費は20mで2000万円とか・・・ へイ~~  囲っこイイ??? 
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資料館を見学のあと、一休みして、
正面の山を越えて81番白峰寺を目指した登り道は
金箔大師像に願いをかけなかった罰当たりかと思われるほどの難行苦行でした・・・
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これで四国4県の国分寺シリーズを終わります。
市町村合併や町名変更で、各地で昔の地名が消滅していく傾向にある昨今ですが、
4つのお寺の所在地の地名に国府・国分・国分寺というアザ名がしっかり残っており、
それぞれの地域にお住まいの方々とお寺のかかわり合いの深さを感じたことです。
  第15番国分寺 徳島市国府町矢野718-1
  第29番国分寺 南国市国分546
  第59番国分寺 今治市国分4-1-33
  第80番国分寺 高松市国分町国分2065 

追伸
 (林屋木久扇さんの寒いダジャレじゃないですが)
 ウイルスの怖さをサイキン知った私です。
 皆さん、インフルエンザにご注意を!
  
 
by jh5swz | 2012-02-07 17:27 | 4つの国分寺 | Comments(0)

引き続いて、四国4県霊場の伊予国分寺参拝の思い出を投稿します。

Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
  国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
  国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。

その3<伊予国分寺>
四国霊場第59番 金光山 国分寺 今治市国分4-1-33
参拝日:2010年6月4日

国分寺は、今治市内霊場6ケ寺最後の札所で、
58番仙遊寺から五郎兵衛坂を下り、6㌔ほど歩いた唐子山ふもとにあります。
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たくさんの幟旗に迎えられて石段を上がると、本堂と右手に大師堂が並びます。
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お納経中・・・
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「お線香の香りは仏様のご馳走です」と仏具屋さんはおっしゃいますが、「色」は?

(100mほど離れた)本堂裏の創建当時の国分寺があった場所には
花崗岩の13個の礎石があって国指定の史跡となっているとのことです。
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             この画像は、国分寺関連資料からお借りしております

ほか、境内には伊予国分寺らしき遺跡などは見当たらず、
私には印象の薄い参拝でしたが、
握手をしてお願い事をするという「握手修行大師像」がありました。
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 弘法大師のご意向でもあるまいに
 「願い事は一つにしてください、
 あれもこれもはいけません、
 お大師様も忙しいのです」と、
 料簡の狭い高札・・・
  
 「ワシはそんなに料簡狭くないぞ!」と、
 弘法大師の声が聞こえましたので、
 家内安全、病息災をお願いしました・・・


あまりにも達筆で、私には読めない納経帖墨書きと切手
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           意匠は本堂鬼瓦



<番外日記>
参拝後、参道のおみやげ屋さんに呼び止められ、
「お大師さん!お大師さん、お接待させて下さい」と、小さなタオルハンカチを頂いた。
  (お大師さん!って、自分のことだとは夢にも思わなかった・・・)
明るいノリに乗って、清涼ドリンク剤を一本購入、お接待返し!
 
 
次回は、讃岐国分寺の思い出をご紹介します。
by jh5swz | 2012-02-01 18:55 | 4つの国分寺 | Comments(1)

引き続いて、四国4県霊場の土佐国分寺参拝の思い出を投稿します。

Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
  国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
  国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。

その2<土佐国分寺>
四国霊場第29番 摩尼山 国分寺 南国市国分546
参拝日:2008年4月2日

 ここは、我がグループの計画では2007年12月7日に参拝する予定でしたが、
親戚の仏事と重なり、4ヶ月後、別グループに転入させて頂きお参りしました。

安芸市夜須のヤシーパークという海浜公園から坂本竜馬に見送られて出発です
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 南国市 野市辺りで、
 ミネソタ州から来たという
 Mr Xさんと合流.

 
 彼のカタコト日本語と
 私のカタカナ英語で
 国際親善に尽くした?ことも
 忘れられない思い出です。 




野市から後免へ田園を歩き、後免駅から北西の28番大日寺を参拝、
さらに4㌔ほど歩いた国分川を渡ると、こんもりとした樹木に中に建つ
第29番国分寺の豪壮な仁王門到着です。
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一礼して境内へ進みます。
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今まさに満開のしだれ桜に包まれた閑静な寄棟造りの本堂は
一見茅葺に見えますが、こけら葺きだそうで、侘び寂びの佇まいでした。
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手元参考書によると、
外観は天平様式を伝え、内部は室町末期の作風が見られる優雅でしっとりとした感じの建物。
と、評してあります。

私達も、しだれ桜に包まれてお納経です
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この地は、
男もすなり日記(にき)というものを 女もしてみむとて するなり。 
で始まる土佐日記の作者、
紀貫之(868~945年)が国司として4年間滞在した国府の地としても知られており、
「土佐日記」には、任務を終えて土佐から都に帰る紀貫之を当時の住職が見送った、
ことが記されています。
 <原文> 二十四日。講師 むま(馬)のはなむけしに出でましり。
 <注釈> 講師(国分寺の住職)が、はなむけ(餞別)を届けにお出でになった。


余談ながら、
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境内に酒断(さけたち)地蔵尊がありました。
いつの頃か定かではありませんが、
ある女性が夫の禁酒を願って成功したことから
近年では「酒断地蔵」と呼ばれているそうです。
お酒好きの県民性から参拝者は絶えないとか・・・
クワバラ クワバラ。


無事16,5㌔を完歩。
帰路車中、満開のしだれ桜を思い出しながらAsahi-Supper-Dryで乾杯!
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次回は、伊予国分寺の思い出をを投稿します。
by jh5swz | 2012-01-28 14:25 | 4つの国分寺 | Comments(0)

今日は、四国4県霊場の徳島県国分寺参拝の思い出を投稿してみたいと思います。

Wikipediaによると、
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、
741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。
壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。
正式名称は、
  国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
  国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっかめつざいのてら)と、記述してあります。

その1<阿波国分寺>
四国霊場第15番 薬王山 国分寺 徳島市国府町矢野718-1
参拝日:2006年9月1日

第14番常楽寺をあとに山沿いの道を八百㍍ほど歩くと、国分寺の山門の前に出ます。
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山門脇には、「聖武天皇勅願所・曹洞宗国分寺」の石柱が建ち
門柱には、勅願寺であることを誇るがごとく菊花紋が彫りこまれていました。
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境内正面に重厚な二層の入母屋作りの本堂が建ち、ありし日の大寺の面影が窺えました。
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手元参考書によると、聖武天皇が天下泰平を祈願して建立した全国66国分寺中の一つで、
鎮護国家の祈願所として七重大塔を備えた大寺院で当時の規模は寺領二町四方だったという。

本堂横に、通常は一般公開されていないと思しき塀に囲まれた所があり、
その1画を囲むブロックの穴からカメラレンズを入れてパシャリ(盗撮?)・・・
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<国分寺資料解説によると>
この庭園は、文化財保護審議会が国の名勝に指定するよう答申した池泉観賞式の大庭園で、
東側の築山泉水庭と、西側の枯山水の2つの庭が大洞門で連なった独特の様式を持っている。
中でも青石で石組みした築山の達莱(ほうらい)山、遠山石、枯滝などは見ごたえたっぷり。
また本堂西側に組まれた高さ4.3mの立石は、全国の庭園随一の巨石としての価値がある。

と、紹介されていますが、
創建当時、二町四方の寺領に七堂伽藍があって寺勢も強く、
国司も参詣する政治文化の中心地だったという昔を偲ばせる庭園も
今は草生して(いささか荒れ放題・・・)、
その維持管理に苦労されているのだろうかと・・・寂しく眺めた庭園でした。

そんな複雑な思いを抱きながら国分寺を後に第16番観音寺へ向かったことでした。
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当日は17㌔を歩き、
13番大日寺・14番常楽寺・15番国分寺・16番観音寺・17番井戸寺を参拝しました。
   近くの国分尼寺跡も立ち寄ればよかった・・・

次回は第29番・土佐国分寺の思い出を書き綴ってみたいと思います。
by jh5swz | 2012-01-26 15:21 | 4つの国分寺 | Comments(0)