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ロシア兵墓地

平成25年1月24日(金)。

その当時、
当地の出来のいい大学生で、
我家の出来のイイ娘の家庭教師をやってもらっていた某社ビジネスマン〇野さんが、
社用を終えて少し時間ができたからと、久しぶりに我が家へお立ち寄りいただいた。

懐かしい茶飲み話しは、小説「坂の上の雲」に及び、
二人で改称なった「ロジア兵墓地」を参拝することになった。

『98人のうち12人はポーランド人であったことが判明したので、
                 「ロシア墓地」から「ロシア墓地」と改称します』
とした松山市広報のその後をこの目で確認できました。
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                             2013年1月15日付け 広報

数日前、君子豹変の好例として記事にしましたが
               この君子、豹変の決断も速いが行動も素早い、喝采!
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             2年前の看板と昨日の現地看板

この寒空の下、
   地元勝山中学校の生徒さん達の清掃も行き届いて
       それぞれの母国、北方を向いて建つ墓標には
               今日も訪問者の心づくしの花が供えてありました。
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某企業のビジネスマンとして活躍中の〇野さんに頼みました、
「露国へ出張することがあったらプーチンさんに松山人の心を伝えて下さい」 と。

そういえば、この墓地を訪れた日本の総理は
あのライオンヘアーの純一郎さんだけで、ほか誰もお見えにならないなあ~・・・
by jh5swz | 2013-01-25 16:23 | ロシア兵墓地 | Comments(6)

ロシア人墓地の改称

 平成25年1月12日

  皆さんよくご存知の四字熟語の一つに
 「君子豹変<出典:易経>」という熟語があります。
  手元の四字熟語辞典によると、 
  豹変とは、豹のまだら模様が秋に美しくなることから、変わり身が早いことを云い、
 よい意味と悪い意味に例えられます。
   ☆ 君子は過ちに気づくとすぐに改め、善に向かう。
   ★ まるで節操がなく、主張や態度がころころ変わる。  とあります。
                       
 今日の日記は、四字熟語の解説をくどくど述べようとの意図ではありません。
 門前の小僧が個人的に、
 その前者(本来の意味?よい意味)の例かな?と感じたNEWSを紹介します。
 

 昨日配られた「広報 まつやま」で、小さな小さな囲み記事を見つけました。
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                            広報は毎月1日・15日付け発行
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「共同研究チーム調査費」が付くあたり、いかにもお役所らしいのですが、

「よく調べてみたら98人のうち12人はポーランド人でした、
今までロシア墓地と呼んでいましたが、これからはロシア墓地と改めます。」
との広報。 
 

結構じゃありませんか、
「間違いを確認しましたので変更します」って、
とても日ごろお堅いお役所仕事とは思えぬ この潔さ! お見事、見習いたい。
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   確かに露国砲兵卒と刻まれ、ロシア兵ではあるがロシア人ではない仏様もありそうです

「ロシア兵墓地」は、松山でも私の好きなスポットの一つで、
県外の知人・友人の来松時は半ば強制的に?案内させてもらっています。

日露戦争当時、捕虜となって当地に収容されたロシア兵に接した松山人の接遇姿勢は
100年経った今も、ボランティアや地元中学生によりちゃんと継承されている様子を
一人でも多くの方々に知ってもらいたいのです。
    とかくギクシャクしがちなかの国との領土問題などに関係なくです、ハイ

「広報まつやま」により天下にその改称が周知されたことですから、
当ブログ 2011年12月 の古い記事ですが・・・
カテゴリーその後の徒然日記内「ロシア人墓地」も「ロシア兵墓地」と改称し
記事内の写真を除く該当字句はすべて修正致しました。
 
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松山市は、これから
色々な資料や観光案内看板書き換えなど大変な作業だと思いますが、
がんばれ君子! 見事な まだら模様の豹となれ!    
この墓地には、
祖国のために戦った敵兵に温かく接した松山人の『おもてなしの心』がこもっている。 
by jh5swz | 2013-01-12 12:26 | ロシア兵墓地 | Comments(0)

ロシア兵墓地 2011・12/21

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」は、いよいよ最終回を迎えます。
   ドラマと直接の関係はありませんが、
 今日は、小説の主役、秋山好古・真之兄弟と正岡子規の故郷松山と
 日露戦争の関わりを物語るロシア兵墓地へお参りに行ってきました。
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ロシア兵墓地は、
51番石手寺から道後温泉を経て52番太山寺に至る遍路道の途中、
松山大学キャンパスから歩いて約300mの御幸山中腹にあります。
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     「現在地」表示の右下が墓地になります(画像は2010年3月5日のお遍路のとき撮影)

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大学の好意で設けられた駐車場から少し下り、道沿いの短い石段を登ると
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ロシア兵墓地です。
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     墓地は陸軍によって妙見山の山頂につくられ、昭和35年にこの地へ移されたました。

ロシア兵の多くは戦争終結後、帰国しましたが、
収容中に病気などで亡くなった98名を悼み、松山で手厚く葬られました。
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日露戦争(明治37年2月~38年9月)で、
捕虜となったロシア将兵7万人は日本の各都市に収容されました。
その中でも松山は最も多い4000人の捕虜を受け入れ、
愛媛県は、当時の戦時国際法のルールに則り、
「捕虜は罪人ではない。
    祖国のために奮闘して敗れた心情を汲み取って
            侮辱を与えるような行為は厳に慎め」

 という訓告を発していたという記録があります。

松山市民のロシア兵捕虜に対する「おもてなし」は、とりわけ手厚く、
市内への出入りはもちろん、海水浴や道後温泉への入浴など
比較的自由な生活が許されていたと云うことです。
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戦時、ロシア兵がその評判を聞き、
    戦地で日本兵に捕まったとき
      「マツヤマ、マツヤマ(へ連れて行ってくれ)」と叫びながら
                       投降したと云う逸話も残っています。
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墓地は、100年を経た現在も
地元勝山中学校の生徒や保存会の人々の手により定期的に清掃が続けられ、
時節柄の落ち葉以外にゴミ一つ落ちていませんでした。
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一人一人の墓標は、はるか北方の祖国ロシアを向いて建てられています。
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     石碑には「露軍砲兵卒〇〇の墓」と日本語で彫られ、
     前左の黒石板には、名前と死亡年月日がロシア語と日本語で書かれ、
     前右のプレートには、ロシア語で階級と名前と亡くなった日が彫ってあり、
     花挿しの供花は絶えることが無いそうです。

その98柱の石碑の中に、とりわけ大きなボイスマン大佐の墓標と胸像があります。
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  彼は旅順艦隊の戦艦ペレスベートの艦長で、
  海戦で負傷し捕虜になりました。
  日本側は、大佐という階級と
  負傷兵であることを考慮して、
  ロシアに送還しようと策しましたが
  「兵卒と共にありたい」と拒み、
  「それなら妻子を呼び寄せよ」、
  と勧めましたがこれも謝辞し、
  収容されて八ヵ月後、
  胃がんで他界しました。
  享年50歳。

  写真の大佐の胸像はロシアで作られましたが、
  当時ロシアは不況下で日本へ送る資金が無く、
  その輸送資金を松山市民や学生が募金で賄い、
  「日露友好のかけ橋」として寄贈を受けて、
  1994年ここに建立されたということです。


 
 決して美談に祀り上げようとは思いませんが、
 日本側の母国への送還策を
 「兵卒と共にありたい」と拒んだ大佐の気概と、
 「ならば妻子を呼び寄せよ」と応えた松山人の優しさが、
 100年の歴史に彩りを添えて、
 胸像は冬空に北の方向を見つめて凛と立っていました。

 明治の人々の“武士道”と松山人の“お接待の心”を誇りに思いながら,
ここで亡くなった人や、その人々のために尽くした人々に思いを馳せるとき、
やっぱり平和がいいなあ~、と、平和ボケに浸った門前の小僧でした。 合掌・・・


 帰り道、シベリア抑留のことが一瞬頭をよぎり、
 明治と昭和という時代の違いなのか?とも思いましたが、
 「プーチンさん、一度松山へおいでなもし、
       ニッポンそんなに悪者ばかりじゃないですよ」と
 車の中で独り言をつぶやいてピリオドを打ちました。

 このページは、
 墓地内の碑文を読み、メモを取り、この墓地に関する資料を読み漁り編集しました。
 差し障りがありましたら、ご注意、お叱りを願い致します、書き換えますから・・・
     
 広報 まつやま 平成25年1月15日号によると、

 呼称「ロシア人墓地」は、
 日露戦争で捕虜となり、亡くなったロシア兵が埋葬された墓地で、
 当時、ロシア兵は全てロシア人だと思われていたため、
 これまでそう呼ばれてきました。
 しかし、日本・ポーランド共同研究チームの調査により、
 埋葬されている98人のうち12人がポーランド人であることが確認されたため、
 呼称を「ロシア兵墓地」に変更します。

 との広報があり、当ブログも記事内の該当呼称を「ロシア兵墓地」と修正いたします。
              平成25年1月10日 -編集子-

by jh5swz | 2011-12-21 22:48 | ロシア兵墓地 | Comments(1)