雲辺寺への道(予習)

 過剰な下調べは旅の楽しみが半減するという話しも聞きますが・・・
私は逆。
 滅多に行けない所であればあるほど楽しみを膨らませておきたいのです。
  (世間はコレを究極の貧乏性と云うのかも知れません・・・)
 次回巡拝の雲辺寺が霊場中最標高927mに鎮座する難所であるだけに、
参拝道中の様子と楽しみのネタを調べてみたくなりました・・・
   因みに、涅槃の道場 讃岐第1番と呼ばれながら
   雲辺寺の住所は徳島県三好市池田町白地765番地ということも
   この予習で初めて知った、私は”にわか遍路”です。

   楽しみを膨らませるためにと云いながら、
   この歩行時間×距離÷標高差を想像すると、
   おそらく道中を楽しむ余裕は殆んど無いものと、覚悟もしながら・・・

☆雲辺寺への登り道(目論み)☆
(2枚の地図はNPO四国おへんろ倶楽部発行 「讃岐23ケ寺参り」より)
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雲辺寺への歩きへんろ道は<赤い点線>の3ルートがあるようですが、
<青い点線は車でロープウエイ利用の参拝ルート>
前回の帰路バス車中のお先達さんの説明から察すると
 ☆午前中の急な登り坂へのスタミナ温存のため?
 1・愛媛県からR192の境目トンネル(855m)を徳島県へ進み、
 2・佐野(民宿岡田)から徳島高速道の高架をくぐり、
 3・標高差400m、約3Kの急坂を1時間半、喘ぎながら?登り
 4・曼陀トンネル経由のへんろ道と合流し
 5・尾根伝いに2,6K、標高差200mを1時間、泣きながら?登り
 6・雲辺寺(標高927m)をめざす
                 ことになるのだろう・・・と推測します。
 本番は12月3日、山頂の”坂の上の雲の辺りの寺”は冷える、と聞く・・・
 四国では数少ない雲辺寺スキー場へのロープウエイを利用すれば7分!
 だと云うが、せっかく1番からここまで歩き通したのだから、
 なんとか歩いて登りたい・・・と願うのはチーム全員の思いに違いない。

-ご対面が楽しみな五百羅漢像- (写真は「歴史の小径」より借用)
 -ここは、じっくり時間をかけてご対面させていただきたいのです-
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-覚えておきたい逸話-
 天正5年(1577)、土佐の豪族長宗我部元親が雲辺寺に上り、
眼下に広がる讃岐や伊予の平野を望みながら四国統一の野望を抱いた。
 当時の48代住職俊崇坊(しゅんそうぼう)は「貴方の器は土佐一国の主だ。
それが四国の主になろうとは、茶釜の蓋で水桶の蓋をするようなもの。
今は兵を引いて土佐へ帰り、領民を愛するが良い」と野望をたしなめたと云う。
 戦いに手段を選ばぬ元親だが、この時ばかりは住職の言うことを聞き、
雲辺寺は戦火を免れた。寺を守った住職も傑物と伝えられているそうな。

 ☆雲辺寺からの下り道☆ 
~~~前回ツアーの車中で優しいお先達さんの説明~~~
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 「大興寺手前の
 ゴール地点粟井町岩鍋池まで2時間、
 7,6Kを下りますが、
 しんどいと思う方は無理をせず、
 ロープウエイで降りて下さい、
 山麓駅で待機のサポートバスで、
 岩鍋池まで搬送します」

 なんとお優しいお言葉(涙?)・・・

 己の細い足に聞いた
  「どうする?」
 細い足が答えた
  「主の根性次第!」

 
 
そういえば、平成18年7月7日、
最大の難所と言われる12番焼山寺から下った昼食場所の地名は「鍋岩」、
雲辺寺上り下りのゴール地の池の名が「岩鍋池」、
岩とか鍋の地名は遍路にとって鬼門かな~?


例によって余談(蛇足)
雲辺寺ロープウェイは全長約2600m
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山麓駅から山頂駅の高低差約660mを約7分で結ぶ日本最大級の規模を誇るロープウェイ。
定員101名のスイス製ゴンドラの窓越しから、
瀬戸内海を始め、中国地方、瀬戸大橋の偉容も一望できるという大パノラマが楽しめる。 
ロープウェイ乗車券は 大人 往復2000円(片道1200円) だと云う。
なんとかお世話にならないで下山したいなあ~~~

雲辺寺スキー場は、別称「天空のスノーパラダイス」と云い、
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11月4日より
造雪を開始し、2010-2011シーズンの営業は
12月17日(金)~3月13日(日)の予定とのこと、
12月 3日の巡拝では、人工雪の中をチラッと歩けるのかも!
氷は「製氷」と云うが、雪は「造雪」と云うらしい。勉強になりました・・・
by jh5swz | 2010-11-23 10:23 | 66番雲辺寺予習 | Comments(2)

 お遍路並びに当ブログお立ち寄りの皆さまへ

 霊場ご近所やへんろ道沿いにお住まいの方々には
 以下の写真の小さな「遍路道しるべ」をご記憶のことと思います。
 また、歩き遍路皆さまには、
 この赤い小さな「道しるべ」に助けられ、励まされた方は数多いことと思います。
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 この標識を四国各地のへんろ道に2000箇所も設置され、
 その遍路道の草刈りに汗を流され、
 「四国遍路ひとり歩き同行人」と云う歩き遍路のバイブルとも云える
 地図帖を刊行中の
  ”へんろ道保存協力会”代表者 宮崎建樹氏が
 去る11月8日に出かけられたまま行方不明とのことです・・・

続報
へんろ道保存協力会代表宮崎氏の車は、
7日、松山市内山中で発見されたが、
本人はなお行方不明で、所轄署では、8日から周辺を捜索する。
                  (2010 12/8 愛媛県新聞より) 
  

続報の通り事態が変わりましたので、
投稿しておりました不明車輌ナンバー及び
11月19日付け愛媛県新聞記事(写真)を削除致します。
ご無事なご帰宅を祈念致します。 2010 12/8 09:04
                    当ブログ管理人 
                    jh5swz@orange.ocn.ne.jp


<速報>の<続報>の<続報>
 へんろ道保存協会代表者宮崎建樹氏は
 12月10日朝、車輌発見場所から2キロ離れた山の斜面で
 遺体となって発見されました。
 誠に残念で痛ましい結果となりましたが、
 へんろ道の整備保存に格別ご尽力されたご功績を偲び
 謹んでご冥福をお祈り致します。
         合掌・・・ ブログ管理人  2010年12月11日
 
by jh5swz | 2010-11-19 11:28 | その後の徒然日記 | Comments(0)

伊予最後の三角寺参り

歩いた日>第53回・平成22年11月 5日 
コース> 土居町寒川発
       三角寺~椿堂~境目トンネルまで18,8Km
疲労度> ☆☆★★★ 


08:50 前回ゴールの寒川ファミマで準備運動を済ませて、いざ出発!
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09:20 讃岐街道、伊予三島・具定町の古い造り酒屋さん
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         CMではございませんが、建物は登録有形文化財とか?・・・
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09:40 坂の上の雲の中の三角寺めざして、ひたすら歩きます 
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(今は民家のブロックに囲まれていた)
10:06 ”弐百五十三度目”と読み取れる中務茂兵衛(なかつかさもへえ)遍路石
  四国中央市中曽根町
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  中務茂兵衛は1845年(弘化2年)に生まれたとされている。
  生家は周防国大島郡椋野村(現周防大島町椋野)の庄屋で、周辺の村々は
 もとより、島外にも土地を持つ富豪であった。
  1865年、茂兵衛は恵まれた環境を捨てて家を出る。原因は恋愛を反対
 されたためと伝えられるが定かではない。
  しばらく放蕩に明け暮れた茂兵衛だったが、四国へ渡り仏教に帰依すると、
 遍路巡拝の旅に出発した。
  茂兵衛の遍路は、この時から1922年(大正11年)に没するまで一生
 続くことになり、その数なんと280回
  88回目の巡拝を記念して茂兵衛は道しるべの建立を始め、四国各地に
 現在わかっているだけでも243基の遍路石を建立している。

  遺骨を埋葬したという大島郡椋野の中司家墓地に茂兵衛の名はないが、
 四国各地の路傍に建立された多くの道しるべには「願主 周防国大島郡椋野村 
 中務茂兵衛義教」の文字がしっかりと刻まれている。

  この記事は -語り継がれる人々-
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/katari/0712/kt_712_071229.htm
        より抜粋編集転載させて頂きました 



一転、今風へんろ道案内板を横目に三島の町を歩く
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この町のマンホール蓋は
    コスモスの花

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この辺りで
三好さんとおっしゃる方からお菓子をお接待頂きました。-合掌-
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へんろ道保存会の道しるべ
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10:23 そのへんろ道、今は松山自動車道の下になってしまった・・・
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     道草していたら、この「像」について、お先達の説明を聞くことができず・・・
     添乗M・MさんにSOSを発信したところ、早速、以下の通りカンペが着信。

     閻魔大王と六地蔵です
     六地蔵とは地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天界の六道
     をあらわしているみたいです。
 
                 とのこと、ありがとうございました!
 2010・11/07
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    へんろ道を歩いて
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10:36 四国中央市・国内有数の製紙産業工場群が見えてきた 
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10:40 戸川疎水記念公園で休憩
    地元から参加のメンバーご家族から心温かいお接待を受けました、感謝。
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     この戸川疎水記念公園は、
     16年の歳月をかけて造った法皇山トンネルによって
     この地方の農民の100年の夢だった  
     吉野川水系銅山川から当地戸川までの疎水道完成を記念する公園、とのこと。

11:00 お接待に英気快復、いよいよ三角寺めざして5Kの登り坂へ出発
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       11:15 登って
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       11:30 登って
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       11:50 登って
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       12:02 「あと200m」の標識に思わず「ばんざ~い!」 したのは私
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        三角寺伽藍図
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本堂へ最後の72段、急な石段を登り
  1段毎の段差が異常に高かったことも、三角寺の思い出・・・
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鐘楼門で大師のお出迎えを受け
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「ゴーン」とひとつき入り鐘を撞き、煩悩を一つ振り落し? 
     退出時に鐘を撞くと”お金が出て行く”とか・・・遍路もゲンを担ぎます 
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第65番 由霊山 三角寺(ゆれいざん さんかくじ)本堂を参拝
   寺名は、弘仁6年(815)空海師が本尊十一面観音を安置、三角の護摩壇を築き
   21日間、降伏護摩の秘法を修行したことに因むという。
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紅葉の大師堂へお納経を済ませました
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三角寺ご朱印
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    本堂向拝門の彫刻(切手)
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同行20人、全員に大好評だった「昔屋」の竹皮にぎり弁当
      きれいに編んだ竹皮の折箱は、”お宝!”
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寛政七年(1795)春、
 寺を訪れた小林一茶の句
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    是でこそ 
     登りしかひあり 
            山桜

  今も健在の山桜は
  樹齢300~400年と云われ
  春には桜見に訪れる人も多いらしい
     
  伊予最後の札所
  讃岐との関所寺に
  相応しい山桜なのかな?
 




  ☆☆☆~~~  ☆~
  嬉しい再会がありました!
     小学5年のとき村へ転校してきて、中学1年の春他校へ転校して、
    その後、製紙会社へ就職した同級生(当時の故郷の駅長の息子)とは、
    年賀状の途絶えることは無かったが、なかなか会う機会がなかった。

     定年退職後、三角寺のある町に住んでいる彼にハガキを書いた。
     なんと、地元老舗のドラ焼持参で三角寺までお接待に来てくれた。

     五十何年ぶりの対面、鐘楼門下で人目を憚らずハグした。
     彼の転校直前、遠足に行った43番明石寺以来の再会が
    65番三角寺とは因縁ただならぬものをを覚えた。

     「弘法大師のお引き合わせやろうな~」と、彼が言う・・・
     「並なら居酒屋やろな」と、修行の足らない私。

     弁当しながら話しは尽きなかったが、私の出発時間が迫り、
    遠くない日に、村の小学校の同級会開催を約束して別れた。
                     ☆☆☆~~~  ☆~
                
13:10 さて、出発
   三角寺から別格椿堂経由県境まで9kを歩きます(三角寺駐車場の看板より)
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旧土佐街道 路傍の花 (どなたか、この花の名をご存じないですか?)
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13:40 標高500m、三角寺付近からの瀬戸内眺望
      是でこそ 登りし甲斐あり 秋の空  -門前の小僧-
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14:05 旅籠 島屋跡(お小屋倉跡)
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    -碑文(原文ママ- 
   土佐の国主が参勤交代の時、
   休み場が此処より
   1400米登った所にあり、
   お茶屋と呼ばれ、
   ここで休憩するとき、
   倉に格納してある
   組み立て式の材料を運び上げて
   臨時の休憩所とされた。

   お殿様の権力の象徴だった?


その石碑近くにあった中務茂兵衛遍路石
  「旧土佐街道」と書いてあるところをみると、
         上の「お倉小屋跡」も、なるほどと納得。
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14:15 半田ゆらぎ休憩所は粋な東屋にトイレ完備、助かります。
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   道案内はローマ字翻訳附きでした
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掲示板に映ったお遍路さん一行
   鏡は左右反対に映るのに、なぜ上下逆さに映らないのだろう?
   てな、ヒマなことを考えながら・・・
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14:37 はるか正面一番奥の山頂に雲辺寺が見えた
    へんろ道は高速高知道下のトンネルをくぐります
    次回は、今日のゴール地から7K 標高900mの雲辺寺まで登る・・・
    嗚呼・・・カモシカのような己の細い足の根性に期待するのみ也!
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15:00 三角寺をスタートして2時間、別格14番 椿堂到着
     手前、大師堂 赤い柱が鐘楼門 その奥に本堂
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別格第14番 常福寺椿堂 本堂
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  本寺名を「邦治山不動院常福寺」といい、
  弘仁6年(815)、弘法大師がこの地に立ち寄り、
  持っていた椿の杖を突き立て、
  当時この地方に流行していた病を大地に封じ込めた。
  その後、この椿の杖から芽が出て大樹になったところから
  「椿堂」と呼ばれる。
           -境内の由来看板より要約転記-


         杖を突いたら泉が湧いたり、
         杖が椿や大杉になったり、この種の伝承は枚挙にいとまがない・・・
         我が大師様はスーパーマンにやあらん?! 
         四国遍路は、なんでもありで面白い


18歳未満 拝観お断り!
   これがこの寺の境内に相応しいのかよく解らない・・・説明を憚る・・・
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ゴール地が国道沿いでセレモニーが出来ないとのことで、
15:30 境内で夕日を浴びながら「伊予一国完歩証」授与式!
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           必ず全員揃って88番結願寺を目指し、高野山まで頑張ろうゼ!
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           おかげさまで、”菩提の道場”伊予26ケ寺を完歩することができました、
           舞い上がって?「364,4キロ完歩証」をご披露させていただきます。
           ご幼少のみぎりから「証」とか「賞」の類いに縁の無かったオトコの金メダル?
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15:40 椿堂出発、本日のゴール地まで、あと1時間の予定
   おもしろい事に、愛媛県から徳島県を通って香川県雲辺寺をめざすことになる
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    先に完歩証を頂いたのだから、歯を喰い縛ってでも県境までは歩かねば!
     だらだらと続く登り坂にはマイッタ!なう
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道中、遍路小屋で野宿支度中の若い歩き遍路さんにエールを送り、
ヘトヘトになって、辿り着いた夕暮れの境目トンネル手前の車寄せ、
16:30 紅葉の中でサポートバスがニッコリ笑って待っててくれました。
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今日の足あと
土居町から境目トンネルまで18,8Km 1番霊場から延べ936,9Km

 
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 -お立ち寄りの皆さまへ-

 いつも、わが歩き遍路チームを
 見守って頂きましてありがとうございます、
 なんとしても20人揃って
 結願を迎えたいと頑張っておりますので
 最後まで応援よろしくお願い致します。

 次回は、いよいよ涅槃の道場の旅が始まります。


このブログの記事、内容ついてご叱正・ご意見は
              j5swz@orange.ocn.ne.jp -門前の小僧-まで
by jh5swz | 2010-11-06 17:15 | 65番三角寺~県境まで | Comments(0)

番外 ふる里笠置峠越え

笠置峠(かさぎとうげ)ウオーク
今回の記事は、このブログタイトルからちょっと脱線しますが・・・


私の故郷 旧西宇和郡双岩村(ふたいわむら)
     旧東宇和郡岩城村(いわきむら)を結ぶ笠置峠は
子供の頃(十年±前)、1度通っただけの標高412mの峠ですが
昨日、その「笠置古道を歩く」イベントがあり、懐かしくて参加しました。

懐かしさにもまして、この笠置峠は、
平成18年春以来、私が歩きつないでいる四国88ケ寺歩き遍路の
第43番明石寺(めいせきじ)から別格7番出石寺(しゅっせきじ)に至る
裏遍路道ではないか?
なにかそのランドマークをこの目で確かめることはできないか?
との、個人的な「夢」もありました・・・

私的仮説:出石寺への裏街道とは
  卯之町:第43番明石寺~宇和町山田~笠置峠~旧・双岩村若山~八幡浜を経て
  (日土町の)別格7番出石寺~別格8番十夜ケ橋永徳寺に至る遍路道を指します。

 ※別格を除き霊場のみを巡拝する場合には
  地図上のR56宇和島街道を歩くのが常道であり、
  私達も平成21年9月4日、明石寺から永徳寺まで23Kmを歩きました。
        (クリックすると該当ページへ飛びます)

前置きが長くなりました・・・
イベント開催日は 平成22年10月31日
   主催:西予市文化体育振興課内「宇和街道をゆく事務局」
   協賛:双岩「笠置古道保存会」・JR   
   (表現は正確でないかも知れません・・・)
峠の前方後円墳の発掘保存と自然保護に傾注される西予市教育委員会と
故郷双岩村熟年有志の「笠置古道保存会」のコラボレーションで実現した
今回の”古代ロマンと自然の里を歩く”コースは次の地図の通りです。
 (イラストは関連資料に私が道順を加工したものです) 
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私達、双岩グループのコースは
若山の双岩駅集合~JR~伊予岩城駅<青い線>約10分
岩城駅~笠置峠~釜の倉~双岩駅解散<赤い線>約7,2Km 

 因みにイラスト中の
  笠置トンネルは平成11年7月竣工
  双岩~宇和島間の鉄道は昭和20年開通
  国道56号線から分岐する鳥越峠は明治31年完成の記録があり
  それ以前は笠置古道<赤い線>だけが、
  岩城(現宇和町)と若山を結ぶ唯一の里道であったと推定されます。
  今回の参加で勉強した、その里道”笠置街道”の歴史や
  私と当時の村のガキ大将連中との思い出などについては
  これから、少しずつ書き綴ってみたいと思っています。

08:45 JR双岩駅から出発
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「昭和20年6月20日、赤ん坊だったお前は開通一番列車に乗車した」 
       とは、耳にタコができるほど聞かされた親の話。
列車は小学生の頃まで機関車(SL)の3両編成で・・・
石炭や水の補給施設や貨物車専用の引込み線まであり
駅員さんのポイント切換えは、そりゃ~神技に見えました。
中学生の頃だったか?ディゼル気動車になり
線路沿いの風景は一変しましたが、
通勤通学時のホームは人 人 人で溢れていました。
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脱線ついでに・・・
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 上は
 高校時代の定期券
 双岩⇔八幡浜駅間
 1ヶ月 ¥180円
 私の”お宝”!



 下は
 今回の双岩~岩城間の切符
 片道 ¥200円
 物価とか貨幣価値とか
 屁理屈は解らないが
 時の流れを感じます



定期券の裏には、
「通用期間が切れたときには、直ちにお返し下さい」と印刷されており
しばらくの間、両駅の待合室に”返さない人”として名前が掲示された・・・・
もう、時効と勝手に決め込んで、ことあろうにブログで公開、
旧国鉄さんお許し下さい。

予讃線屈指の登り急勾配のトンネルを抜けて10分程で伊予岩城に到着
両駅とも無人駅であり、車掌さんが車内で切符を販売、ホームで回収。
だったら、上の切符はどうして手元にあるのだろう?
そういえば車掌さんの「おや~?1枚足たらね~なあ?」 なんて声が聞こえそう・・・
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ここには、やっぱり蒸気機関車がよく似合うと思います・・・
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   ~~☆☆~~☆~ ☆~
台風の余波で小雨交じりの天候ながら、スタート直前になると、
八幡浜市側と西予市側から参加した人は100名余、
当日のお世話係(スタッフ)を加えると120名以上の大部隊となって壮観!
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10:00 いよいよ笠置峠古墳めざして
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岩城村の人は「何事やあらむ!」と?
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 私は、
 受付で
 西予(せいよ)市から
 戴いた
 参加記念ワッペンの
 お言葉どおり
 最後尾をのんびりと
 歩きました。
 巧い洒落だなあ~



刈り取りの終わった岩城村の風物詩”わらぐろ”の類い
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10:12 朝方、2羽のコウノトリがエサを啄ばんでいたという地中池
     (識別足環があり、兵庫県コウノトリの郷から飛来した2羽らしい とのこと)
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笠置峠登り口
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安養寺あたりから宇和盆地眺望(晴れていればさぞや・・・)
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 -今は昔の思い出(冒頭イラスト参照)-
村のガキ大将連と、手作りの竹竿とバケツ持参で双岩から鉄道を歩き、
線路に耳を当てて汽車が来ないことを確かめながらトンネルを抜けて
この岩城村の小川でフナを釣り、時を忘れレンゲ草の中で相撲を取り・・・
日暮、薄暗い山道を小走りに登ったのはこの笠置峠だったに違いない。

峠中腹の「清水地蔵」と湧き水
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清水地蔵は、
寛政8年(1796)寄進されたもので、
峠を往来する人々や牛馬の憩の場所で、
安全を見守ってくれた場所です。
  (笠置峠古墳マップより引用)


マムシ殿にはご遠慮願いたい
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遍路墓
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 笠置街道は、九州からみて四国の玄関口にあたる八幡浜港と宇和盆地をつなぐ古道で、
九州からのお遍路が笠置峠を越えて第43番明石寺から四国巡礼を始めていたようです。
 が、街道沿いには道半ばで倒れたお遍路さんの墓が祀られています。
 墓標には、豊後・肥後・筑後に混じって松山や金沢の地名も見られます。
                     
11:00 峠の茶屋
f0213825_1440560.jpg笠置峠には大正初期、2軒の茶屋があり、
駄菓子、雑貨、呉服まで置いてあったという。
天保11年(1840)、シーボルトの娘イネが
峠を越えて卯之町へ来たとき、お茶を接待したと伝わる。
           (笠置文化保存会 小笠原慶一氏)
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笠置峠の
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              峠の地蔵
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この地蔵さんには、双岩村生まれの私にはコトのほか思い入れがあり、
出発地で頂いた「笠置峠古墳周辺マップ(西予市観光協会宇和支部発行)」の
紹介文を原文のままUPさせて頂きます。
<次の資料・転載につき、本日西予市よりご承諾を頂きました 11/5>
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確かめたかった、明石寺~出石寺間の遍路道でもあったこと、
実家の二階からよく見えていた松の木のことも書いてあり、感激でした。

    ~~~ ☆☆☆  ~~~☆☆☆
峠の地蔵さんから少し歩くと、いよいよ「笠置峠古墳」が見えてきました
頂上の青白い建造物が竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)と呼ばれる埋葬施設
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 誘導路の古墳全容を示すパネル
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頂上部の周囲は石が葺いてあり  意味と目的は聞き漏らし・・・残念
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竪穴式石槨は立派なガラス張りの鋼材屋根の展示施設で保護してあり
さらに、あいにくの雨で天井部からは中が見えず、側面の窓から”盗撮!”
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 「展示石槨は忠実に復元したレプリカで、実際の石槨は、
 この地下1,5mに埋め戻してあります」と、真に正直な学術担当さんの説明でした。
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                    「笠置峠古墳周辺マップ」より

古墳頂上部(標高412m)から双岩村方面の眺望
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     宇和海や佐田岬半島、さらに天気が良ければ九州(国東半島)まで展望できるらしい
 
同、岩城村方面眺望
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峠の茶屋跡あたりで新米お弁当の計画だった?と思われますが、
雨は止まず、釜の倉まで約2Kを下り、集会所で昼食となり・・・
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釜の倉側では、街道のそこかしこに石畳が敷いてあり、滑りそうで要注意!
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ふもとは近い よくみれば立派な石畳・・・ 
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12:11 釜の倉 出店(でみせ)の笠置峠登り口道標 
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   山田村 笠置村 
     宇和村 と読めた 

 
 雨はショボショボ
 体は冷える
  デジカメ ポンコツ
  腕前二流で
  ピンボケ気味・・・
   いつか撮り直しに行きたい・・・




岩城村には盆地なりの景色が、釜の倉には静かな山あいなりの風景が・・・
  (撮影後、3連橋梁(メガネ鉄橋)をJRアンパンマン列車が走り去った)
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釜の倉の人達が、稲刈り後の棚田に40Kの種を蒔き育てたコスモス畑
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「母ちゃん、今日も雨の中、大勢の人やな~」 「うん よかったなあ~」
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毎年、10月第3日曜日?は「コスモス祭り」で大変な人出だそうだ
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釜の倉集会所で頂いた昼食の「宇和新米むすび」  これが超美味!!
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昆布入り・古代米赤飯・白米塩味 3色セット。 
あまりの美味しさに1個だけ食べ、2個は家族におみやげに持ち帰った。
余っていたら、あと2食くらい「販売」して欲しかった~~~

昼食後、集会後で、地元の方から「笠置峠の歴史について」お話が企画されていたのですが、
雨で濡れた体が冷えてきたので、失礼して車を置いたJR双岩駅まで歩き、自宅へ急いだ・・・

<番外コマーシャル>
ここ、釜倉の浅野さんは、毎年夏、カブトムシを養殖、通信販売をしている。
育て方次第では、翌年、送り先の庭から2代目カブトムシが誕生するようです。
詳細は双岩カブトムシセンターをご覧下さい。

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jh5swz@orange.ocn.ne.jp -門前の小僧-まで
by jh5swz | 2010-11-01 17:37 | ふる里双岩村のこと | Comments(0)