浄瑠璃寺の蓮の花と鎮魂の皿碑 2016
2016年 07月 17日
(土)の日記 その1
久しぶりに坂本屋へ「ぽんぽこ村」の子供たちがやってくるので応援出仕の連絡があり、
あまり役には立てないが、頭数にはなろうかと出仕。
07:40 自宅発。
本日の朝参りは、「蓮の花見」の下心もあって第46番浄瑠璃寺さんへ。
08:00 本堂裏の駐車場へクルマを置いて、県道へ降りて表の参道から入山。
お寺参りを始めた頃、山門の無い眺めにちょっと違和感もあったが、
近ごろ、子規さんの句碑と右側の寺名石のバランスのよさが山門に見えてきた。
左の句碑
永き日や衛門三郎浄瑠璃寺 子規
いつお参りしても掃除の行き届いたきれいな参道です。
本堂と大師堂へ写経代参
本堂遥拝のおびただしい昔の納め札
現代の納め札にならなかったら、掃除が大変だった???
本堂左、一願弁天さんの左手に「弁天池」が見えます。
ふむ ふむ 弁天池のハスの花が今しばらく見頃です。
にわかカメラマンは園内をくまなく?散策
しばし戯れて飛べ、カナブンやシオカラトンボ
君の名は「爪紅」? おしゃれではないか
園内看板
各種の花は交配防止のため?
石材で仕切られた小池ごとに植えられているが
それぞれの小池には花の名札が無い・・・
浄瑠璃寺さんにお願いがあります、
各種の名札を小池ごとに立てていただけると
興味と妙味はぐんとUPするような気がします、
数人居られたカメラマン氏も
思いは同じではござりませぬかな?
聞いた話しでは、早朝の開花の瞬間、
ハスの花はポコンとかパクッとか、まことに可愛げな音を発するのだとか・・・
早起きして、美形のため息を聞きに行くのも一興かも。
是非とも足を延ばして欲しい場所
浄瑠璃寺さんの弁天池に隣接してある「鎮魂の皿」碑。
この「鎮魂の皿」は、
太平洋戦争で亡くなった地元久谷出身者の慰霊のため
郷土史家相原熊太郎が遺族の家を一軒一軒訪ねて巡り、
戦死者の人となりを四行詩にまとめ、それを皿に焼付け準備は整ったが
多額の建設費用が集まらず計画は頓挫、300枚の皿は寺の床下に入れ置かれた。
爾来25年、人々の記憶から忘れ去られていた・・・
昭和49年、NHKの遍路番組取材班が床下から発見し、
撮影、編集し全国放送され大きな反響を呼んだ。
放映を見た地元の診療所三好かつみ先生は寺と諮り、この慰霊塔建設に尽力された。
地元の石材彫刻店 相原誠一さんは、仏教の六道に因んだ六角の塔の六面の壁面に、
300枚の皿をはめ込むことに苦労を重ね、完成後、るり観音を刻み塔の上部に安置した。
上記の文章は、坂本屋へ通い始めた頃、中川長老から購入した
山野芳幸氏著「伊予久谷界隈はええとこぞなもし・(株)エーシー出版」より
抜粋、編集させて頂きましたこと、お断りと感謝を申し上げます。
今日も祭壇に合掌して、お皿の四行詩をしばらく読ませていただきました。
私事ながら・・・ もう一度書きます。
南方へ出征した叔父が、戦死した小島の浜の小砂になって
小さなマッチ箱ほどの桐箱に入って村へ帰って来た話しを聞いて育った私は
春盆秋暮の墓参りの度に青春真っ只中で散ってしまった叔父のみならず、
多くの若い人々の無念に思いを馳せて、お墓に合掌します・・・
戦争は いけん!
ぼつぼつ、坂本屋へ行かなければ・・・
次稿へ続きます。
平成28年7月16日久しぶりに坂本屋へ「ぽんぽこ村」の子供たちがやってくるので応援出仕の連絡があり、
あまり役には立てないが、頭数にはなろうかと出仕。
07:40 自宅発。
本日の朝参りは、「蓮の花見」の下心もあって第46番浄瑠璃寺さんへ。
08:00 本堂裏の駐車場へクルマを置いて、県道へ降りて表の参道から入山。
お寺参りを始めた頃、山門の無い眺めにちょっと違和感もあったが、
近ごろ、子規さんの句碑と右側の寺名石のバランスのよさが山門に見えてきた。
永き日や衛門三郎浄瑠璃寺 子規
いつお参りしても掃除の行き届いたきれいな参道です。
本堂と大師堂へ写経代参
本堂遥拝のおびただしい昔の納め札
現代の納め札にならなかったら、掃除が大変だった???
本堂左、一願弁天さんの左手に「弁天池」が見えます。
ふむ ふむ 弁天池のハスの花が今しばらく見頃です。
にわかカメラマンは園内をくまなく?散策
しばし戯れて飛べ、カナブンやシオカラトンボ
君の名は「爪紅」? おしゃれではないか
園内看板
各種の花は交配防止のため?
石材で仕切られた小池ごとに植えられているが
それぞれの小池には花の名札が無い・・・
浄瑠璃寺さんにお願いがあります、
各種の名札を小池ごとに立てていただけると
興味と妙味はぐんとUPするような気がします、
数人居られたカメラマン氏も
思いは同じではござりませぬかな?
聞いた話しでは、早朝の開花の瞬間、
ハスの花はポコンとかパクッとか、まことに可愛げな音を発するのだとか・・・
早起きして、美形のため息を聞きに行くのも一興かも。
是非とも足を延ばして欲しい場所
浄瑠璃寺さんの弁天池に隣接してある「鎮魂の皿」碑。
浄瑠璃寺境内の木立の中にあった碑を、昨年夏、こちらへ移転、再建立されました
この「鎮魂の皿」は、
太平洋戦争で亡くなった地元久谷出身者の慰霊のため
郷土史家相原熊太郎が遺族の家を一軒一軒訪ねて巡り、
戦死者の人となりを四行詩にまとめ、それを皿に焼付け準備は整ったが
多額の建設費用が集まらず計画は頓挫、300枚の皿は寺の床下に入れ置かれた。
爾来25年、人々の記憶から忘れ去られていた・・・
昭和49年、NHKの遍路番組取材班が床下から発見し、
撮影、編集し全国放送され大きな反響を呼んだ。
放映を見た地元の診療所三好かつみ先生は寺と諮り、この慰霊塔建設に尽力された。
地元の石材彫刻店 相原誠一さんは、仏教の六道に因んだ六角の塔の六面の壁面に、
300枚の皿をはめ込むことに苦労を重ね、完成後、るり観音を刻み塔の上部に安置した。
上記の文章は、坂本屋へ通い始めた頃、中川長老から購入した
山野芳幸氏著「伊予久谷界隈はええとこぞなもし・(株)エーシー出版」より
抜粋、編集させて頂きましたこと、お断りと感謝を申し上げます。
今日も祭壇に合掌して、お皿の四行詩をしばらく読ませていただきました。
私事ながら・・・ もう一度書きます。
南方へ出征した叔父が、戦死した小島の浜の小砂になって
小さなマッチ箱ほどの桐箱に入って村へ帰って来た話しを聞いて育った私は
春盆秋暮の墓参りの度に青春真っ只中で散ってしまった叔父のみならず、
多くの若い人々の無念に思いを馳せて、お墓に合掌します・・・
戦争は いけん!
ぼつぼつ、坂本屋へ行かなければ・・・
次稿へ続きます。
by jh5swz
| 2016-07-17 10:23
| 浄瑠璃寺の鎮魂の皿と参拝記
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