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 2017年3月26日、母校 双岩中学校は創立70年の歴史の幕を降ろし,
 卒業生22名、市内八代中学校へ編入する2年生7名、1年生13名を主役に
 父兄、恩師を交え総勢300人が一堂に会し閉校式が執り行われました。             
                   詳細クリック  
 
 
 以来、2年3ヶ月、卒業生の思い出いっぱいの校舎や校庭はどうなるのだろう・・・と
 気になる毎日でしたが、
 6月20日の愛媛新聞(総合・三面)に、その方向を示す記事が掲載されておりましたので、
 閉校式に参列した一人の卒業生から  
  天国と全国に在住される
 双岩中学校卒業生2401名皆様へ
 閉校した母校のその後の報告書をお届け致します。

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  (以下、新聞記事要約・下線部加筆)
 八幡浜市がプール解体費など1460万円負担し、運動場やプール跡など6460㎡(約1957坪)を約7千万円(坪@\35,769)で現在、八幡浜市昭和通の南海トラフト地震時の浸水(5~7m)予想区域にある四国電力八幡浜事業所・営業所へ売却する方針であるとのこと。

 校舎と体育館は地元住民がイベント等に利用しており、災害時の避難所としても活用できることから、当面「市」が保有を続けるという。
  (以下、略)

 地元在住の有識者皆様が
 (旧 西宇和郡)「双岩村」の将来第一に
 いろいろ熟慮された結果でしょう・・・

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 上のモノクロ写真は、
 昭和某年春、自分達卒業生だけで描いた「双中」人文字。
 (現在、当時の校舎など建造物は一切ありません)



    


by jh5swz | 2019-06-21 16:07 | ふる里双岩村のこと | Comments(2)

2019年4月14日(日)の日記。

       (旧)西宇和郡双岩村の
       私が生まれた若山という集落の小峠一つ隔てて「中津川」という静かな山里があります。
       その中津川の大元神社で愛媛県南予地方で唯一残る弓神事「百矢祭」が行われると聞き
       村に住む同級生を誘って行ってきました。 

       戦国時代(1560年頃)武芸奨励のため始まったとされる「百矢祭」は、
       今では厄落としの神事として、ここ(旧)双岩村 中津川で脈々と継承されています


 私、この村に生まれながら、この歳になって初めて観る「百矢祭」です。
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 このお宮は、小学生の頃「可愛い子分達」と、実家のあった
 若山から峠を越えて二度ほど遊びに来たことがあります。
 この朱塗の橋をみて「がいなの~」と思ったものです。
 
 当時は、なにしろ「遊び」がありませんから「冒険旅行」!
 道中「宝刀・肥後の守」で木刀作ってチャンバラごっこ三昧、
 日暮れになると、
 峠をトボトボ歩いて帰った微かな記憶があります。
 
 今では「もみじ祭り」が行われるほどの紅葉の名所らしい。
 さぞ、にぎやなんでしょうね~




      百矢祭式場には雨に備えてシートが張られて、立派な手作り看板も取り付けてありました。
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 神殿では神事が執り行われています、
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  今年、42歳と61歳の本厄を迎えた男性三人が主役だとか、
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 神事のあと神主さんが厄除け一番矢を放ちました、
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   (その前に)若い神職さんが的を祓い清めます。        
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           この二枚の写真は式典と順序が違いますが、式場の模様優先で、あしからず・・・

                      
  主役登場です!                    
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  矢来からの距離は約10メートルちょっと?先の的には
 直径12㌢の素焼きの小皿が取りつけられており、
  当たれば土器小皿は割れて飛び散るハズですが
 これがなかなか当たらない・・・   
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           この頃になると、境内には中津川内外からのギャラリーでだんだん賑わってきました。
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            当然、厄男三人の弓を引く手にも気合が入ります。     
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               よく見ると、弓も矢もしっかりした作りなのです。


      婆ちゃんや母ちゃんに連れられて来た、
      この祭りの次の世代の後継者から「がんばれ、がんばれ~」の声援が飛びます。
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                      大勢のチビッコ達が集まるこの祭りの将来は継承安泰まちがいなし!


       開始後、約20分、厄男から最初の命中者が出ると式場は割れんばかりの拍手喝采! 
       写真を撮らせてもらったのですが、ブログへの掲載の許可を得てないのでカット。


 「的」の前後左右に外れた矢が溜まったり的中矢が出ると、
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  主催者のかけ声で小休止、
  チビッコ達には矢を拾い集めて
  射手の手元へ戻すという名誉ある大役が待っているのです。  
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            末尾に追記した「双岩村史」によるとこの大役を「矢取り」と呼ぶらしい。

     私には、子供達が懸命に矢を拾い集める姿こそが、この祭りの一番素晴らしい場面に見えました。
     山里の老若男女、子供達が一体となって伝統の祭事を守る百矢祭に感動と元気をもらったことです。


     このアマチュアカメラマン諸氏も「百矢祭」の盛り上げ役に違いない(私を含めて^0^)
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      アマチュアはちゃんと「結界」を守ります。 
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       開始から約50分? 主役皆さんの厄除け射的が終わって、ゲスト有志の登場です。             
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      ※ ゲストの市長が宣言どおり、見事一発で命中させたのには会場やんやの喝采、
       あっと云う間の出来事で写真は甘ピン、許可も得てないので掲載は控えます。
 


      式場を結界の後方から見ると的はそう遠くはないように見えるのですが・・・ 
                  弓を引いたことのない者にとっては至難の業???     
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  どうしても命中しないゲストさんは矢来を越えてかなり的に近づき・・・   
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 なおかつ的のお皿も大きくして・・・     
 それでも当たらないのもこの祭りのご愛嬌  
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      「子供らが餅撒きを待ちよるけん、あと3分で射ち止め」と
      法被姿の総代さんの声が無かったら日が暮れたかも知れません(笑)。

      お約束どおり3分後、
      日本の祭りごとに欠かせない?「大人へ紅白餅と子供達にお菓子撒き」。
      たくさんの紅白餅が天からバラバラ降って、伝統の「中津川・百矢祭」はめでたく大団円。
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            はい、私にも縁起餅が飛んできてハッピーエンド(笑)


         中津川と田中山大元神社、
       そして百矢祭の弥栄をお祈りします。

  
               
(4/22 追記:参考資料)
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    かれこれ450年前後伝承されたと伝わるこの中津川の百矢祭について、
   なにか文献(記録)がないものだろうかと、資料を捜してみました。
    ひょいとひらめいて、
    私がインターネットから「お気に入り保存」して、ときどき読んでいる
   「双岩村史」を思い出して、読み漁っておりましたら、第9章・第4節に
   次のような記述が見つかりましたので引用掲載致します。  

    お百矢は最も荘厳なる行事にして、多く鎮守の境内に矢来を結び、的を立て、
   それに對して座席を設け、両端に左大臣、右大臣の役目を勤める者袴を着けて
   着座し、その間に弓手すらりと列座し、順次おほまいと呼びつつ的を射り、 
   矢取りの少年二人代はる代はる矢を拾う、弓手にして数回的を射抜く能はざる時は
   観客の懸けたる纏頭は之を矢取りに流す作法あり、 
       
             「双岩村史」大正八年(1919)出版
             出版者:双岩村 著者(編):曽我 鍛(ソガキトウ)
               第9章 民俗
               第4節 娯楽 163ページ記述より
                 参照:国立国会図書館オンライン・リンク
                 公開範囲:インターネット公開(保護期間満了)

     保護期間満了とは
       著作権の保護期間が満了していることが確認できた資料に表示します。
    ◇著者(編):曽我 鍛(ソガキトウ)氏については、サイト<愛媛文化界の先哲>を是非ご一読願いたい 
     村史が出版されてちょうど100年目に、膨大な村史の中の僅か五行の記述に
     触れることができたのも、なにかの巡りあわせかもしれないと感無量・・・


(蛇足ながら・・・)    
   「おほまい弓技場では数人が一組となり入場し、一番最初に射る人を「大前(おおまえ)と呼び、
      入退場から行射まで全ての動作の先頭を大前が務めるそうですが、関係があるのでしょうか?
        
   纏頭(てんとう)歌舞・演芸・武芸などを演じた者に与えられる祝儀、褒美、懸賞の類いのこと。
      本文の場合は弓手が数回射っても当たらないとき、観客が懸けた祝儀は矢取りの少年に下される、
      と、云う意味でしょう。
      「纏頭」は、昔、褒美にもらった衣を頭に纏って舞い踊ったことが語源らしい。
      大相撲の結びの一番後の「弓取り式」も典型的な「纏頭」の礼舞いに違いない。
        
         

by jh5swz | 2019-04-17 12:15 | ふる里双岩村のこと | Comments(2)

平成29年3月26日(日)の出来事。
 生まれ育った村の中学校が、
 時代の流れか、少子化社会の定石なのか創立70年の歴史に幕を降ろすことになった。
 主催者から閉校式後の「お別れ会」で卒業生として ”ひと言しゃべれ” との指令を受けて帰郷、
 そうか、自分はもう「語り部」の歳なのか・・・

  全国に在住されるであろう
   双岩中学校卒業生2401名皆様へ
    母校の閉校式の報告書をお届けします。

 
         双岩村は現在は合併して八幡浜市内ですが、
         かって西宇和郡双岩村だった頃から村のランドマークは
         何と云っても大小二つの奇岩がそそり立つ「夫婦岩(みょうといわ)」。
         根は一つだが幹が二本の大松ともども地名の起源と聞いて育ちました。
                 現在、大松は枯れて見る事ができないのは残念です・・・
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                              無断転用堅くお断り致します。
           汽車通生だった高校時代、
           いつも満員の客車三両を引いて
           予讃線屈指の勾配を登る機関車の勇姿は、今日までの私のパワーの源でした。

                   現在は気動車です・・・
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        校舎の記録。
            自分達の中学卒業記念にセスナ機から撮った人文字写真、
            上空へ飛んできた小型プロペラ機にチョット興奮した私。                  
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                        我が家は校門から4軒目で通学時間は45秒、皆勤賞でした。

            昭和40年、プール落成(画面左中央)、
            昭和63年、屋内運動場(画面右中央・体育館)が建設されました。
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            平成2年新校舎が建設され木造校舎と公民館を兼ねた体育館を解体。
            新校舎の裏山側には団地が造成され真新しい家が立ち並んでいます、
            それで、どうして生徒数が減るのか解せない・・・
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                                画像帰属:Google Earth
            
            2017年3月26日閉校式当日の校舎、
            校門からみるとさらに立派な体育館は見えない・・・
            最後の在校生は卒業生22名、2年生7名、1年生13名 計42人。
               (余談ながら、自分達の頃には各学年45名前後の生徒数でした)
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                  当日は300人の式典参加者のために校庭が駐車場に解放されていました。
              
            閉校式プログラムより
               (さすがプロ、写真はこう云う風に撮らなくちゃいけません)

             
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           当日は校舎見学フリーモードだったので初めて各教室をくまなく見学、
           自分達の時代には考えられないような充実した素晴らしい設備でした。
           教室からみた「双岩村若山」の眺めはとてもよろしゅうございました!
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                                     正面のビルは双岩病院            
                                      

            体育館内の会場では式典とお別れ会の準備が整っていました。 
            校庭駐車場の誘導整理・受付・会場設営など式典の裏方に徹した
            「双岩盛り上げ隊」という若者連の活躍に拍手を送りたい。                        
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         私の席はずいぶん前列で式典途中に立ち上がって
         パチパチ撮影できる環境ではなく、記録写真が無いのが誠に残念・・・

         式典は市長・教育長・学校長・PTA会長等のお歴々に続き
         生徒代表挨拶と、定番どおりのプログラムが粛々と進行されました。            
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   校旗返納
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  第23代校長から市長へ校旗が返納されたのだが、
 学校がなくなっても村のシンボルとして校旗だけは
 公民館で管理するとか、双岩小学校で数々の賞状や
 トロフィー共々保管することは不可能だろうか???
  2402名の卒業生が機会ある毎に見ることができる
 道筋を考えて欲しいと思うのは私だけでしょうか・・・
  村の人が子供達に良かれと決めた閉校・統合ですが、
 本当は寂しくて仕方がないのですから・・・
  



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校旗返納に続いて全生徒42名にる最後の校歌斉唱があった。
自分達の時代には校歌なんぞは無く、最初で最後の校歌を聞いた、涙が出た・・・
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                 ちょっとお堅い歌詞を
                   アップテンポのこ洒落たリズムに乗せたイイ校歌でした。          
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           式典のあと、校門入口で記念碑が除幕され、
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            記念碑除幕のあと、体育館に戻って
            卒業生・在校生を主役に父兄を交え総勢300人の「お別れ会」が始まります。
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        さて、本日の私の大仕事
          開会挨拶と全生徒の「ふるさと」合唱に続いて、
          卒業生を代表して70年の歴史と思い出をたった5分でしゃべれとは酷! 
          村立双岩小学校へ入学し市立双岩中学校を卒業した学び舎の思い出を織り交ぜて、
          最後の卒業生と春から町の学校へ通学する在校生にエールを送って任務を完遂。
          多分8分くらい費やした・・・ やれやれ 疲れたビ

          懇親会では、
          孫娘みたいな若い卒業生から「知らない時代の貴重なお話しをありがとう」とか、
          ご来賓から「立派なメッセージでした、感動しました」とか持ち上げられたりして、
          「原稿つくりに苦労しました」とも言えず、作り笑顔で「措辞でした・・・」と。

          自分は長男だったので、今も「兄貴、兄貴」と慕う近所の元教員や
          在校当時、苦手だった英語の先生、バスケット部後輩だった市議等々、
          先輩後輩と懇親を尽くしたが、クルマがあるのでウーロン茶では残念至極なり。

          主催者から戴いた立派な記念アルバム誌です。
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           帰り道、学校から2キロほど走った「夫婦岩」へやっぱり立ち寄りました。
           春夏秋暮の墓参りのとき見る夫婦岩と違ってなんだか切ない当日の眺めでした・・・
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            「双岩」の呼称は、
            双岩小学校とJR双岩駅、双岩郵便局と農協支所?だけになりましたが、
            双岩村所縁の人々の胸の中にはしっかり語り継がれるに違いありません。
               ありがとう 夫婦岩、 
         ありがとう 母校双岩中学校!

 
  
   2019年6月21日追記
     閉校式から二年3ヶ月、     
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 閉校後の
 校舎や校庭はいったいどうなるんだろう?・・・
 と気になっていましたが、
 6/20愛媛新聞に次の記事が載っていましたので、
 ご報告いたします。

 地元在住の有識者皆様が
 (旧)西宇和郡双岩村の将来のことも
 いろいろ熟慮された結果でしょう・・・
 
 
  (以下、新聞記事要約・下線部加筆)
 八幡浜市がプール解体費など1460万円負担したうえ
 運動場やプール跡など6460㎡(約1957坪)
 約7千万円(坪@\35,769)
 現在、八幡浜市昭和通の南海トラフト地震時の
 浸水(5~7m)予想区域にある
 四国電力八幡浜事業所・営業所へ
 売却する方針であるとのこと。

 校舎と屋内運動場跡は
 地元住民がイベントなどに利用しており、
 災害時の避難所としても活用できることから、
 当面「市」が保有を続けるという。
 
 (以下、略)










           

by jh5swz | 2017-03-29 12:31 | ふる里双岩村のこと | Comments(6)

ふる里 双岩巡り

平成28年6月26日(日)の日記。
 ふる里・双岩村(ふたいわむら)に住む後輩から、
 村のシンボル「夫婦岩(みょうといわ)」に分祀してある「出雲神社」再興祈願祭の一報がありました。
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 この夫婦岩こそ双岩村の村名起源地であり、
 傍に出雲神社を分祀した小さなお社が祀ってありますが、
 ここしばらく参拝したことがないので・・・
 再興祈願祭を機にお参りして帰りました。

 FB知り合いのお先達さんの影響で、
 近ごろちょっと「撮り鉄もどき」の小僧、
 わざわざ時刻表を調べて「夫婦岩」へ到着。

 
09:26 カメラマンの腕前とカメラの性能に同情した列車が
              それはまことにゆっくりと目の前を走ってくれました。                     
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                   ボディの Welcome NanYo! のメッセージがイイ!

     ばい煙にむせながらデッキで勉強に耽った汽車通学生時代もありました。
      (通勤・通学時間帯の3両編成列車はギュウギュウのすし詰めでした)
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                       昭和XY年冬、夫婦岩の五連鉄橋を駆け登るSL 
         


  駐車場から「夫婦岩公園」へ。
f0213825_10243285.jpg かって、この公園は「実年会」と称する皆さんが
 春夏秋冬、イベントを企画されて
 村内外のくつろぎの公園でしたが、
 現在、休会中らしく・・・

 本日の「出雲神社再興祈願祭」は  
 「なんとかせねば!」と、
 村の若い衆が立ち上がったと聞き及びます。  


公園内を縦断するJR予讃線・伝説の「4連橋梁」。
 下からよく見ると、増水して水に浸かる部分は円形、線路を支える上部は四角、お洒落!
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        正式には「第二夫婦岩橋梁」といい、
        昭和20年、連合軍の土佐湾上陸に備えた物資輸送のため
        当時複線だった伊予鉄高浜線の線路を剥ぎ取って、
        ここへ敷いた「戦争遺跡」でもある・・・と、何かで読んだ。

        ここは予讃線で最も勾配がきつい難工事区間で、
        愛媛県下の国鉄で最後に線路が敷かれたのがココらしい、
        そして、軍隊まで動員して全線開通した2ヵ月後、終戦・・・
          
        私は、昭和20年6月20日、その全線開通式の日、
        通院していた耳鼻科の先生への招待切符を貰って
         八幡浜発卯之町行きの開通一番列に親子で乗って双岩駅へ降りた」らしい。
         村長さんや役場の偉い人の出迎えを受けてたまげた」と、おふくろにいつも聞かされた。
             (ご幼少のお坊ちゃまは何も覚えてないのが真に残念・・・)
                

公園の滝と看板
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    夫婦連れの龍が住むとか、カッパにだまされたとか、
    ご幼少のみぎり、信じて育った懐かしい昔話 ^0^


公園内のつづら道をパワースポットへ吸い込まれるように登って
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登り詰めたあまり広くもない境内にポツンとお社。
今日の再興祭のために若い衆が参道から境内まできれいに草刈りをして貰っていました。
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 私自身、参拝は何十年ぶりのことだろう・・・
 
 神殿はやや傾き、
 お社を囲む塀は朽ちて・・・

 「帰って参りました、ご無沙汰ですみません」と参拝。
 
 ご神職に教わりました、
 出雲神社の参拝は『二拝四拍一拝』なのだそうです。



 境内からみた「夫婦岩」。
 昔は「肝試し」と称して、覆われたカズラを頼りに大岩に登らされた記憶があります・・・
 怖気づくと「おまえ 〇玉有るがか!」と、上級生から叱咤激励?を受けて・・・
 今に思うと、あれは半分パワハラだったかも知れません(笑)f0213825_06593046.jpg
 その頃は興味も関心も無かったのだが、
 今日は大岩・小岩の中央の岩のくぼみに
 二体の石像が見えたので傍まで登ってみた。 
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 左側の石像に、
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 定かではないが・・・
 指でなぞってみれば「文久壬戊八月吉日」と読める、
 「文久」の年代は3年間と短い、
 間違いなければ文久壬戊は文久2年(1862年)、
 坂本龍馬が土佐を脱藩し、
 皇女和宮と14代将軍家茂の婚礼が行われた時代なのだ。
 当時の村人が坂本竜馬や皇女和宮のことなど知る由もないコトではあるが、
 その年、誰が何のための建立した石像なのか、今は興味津々・・・

 余談ながら、私がお接待に通っている遍路茶屋・坂本屋の、
 あの豪華な享保雛が納められている木箱に文久3年の墨書きがあることも
 ちょっと不思議な縁を感じるふるさと夫婦岩の石像でした・・・


 石像から足元の線路、川向こうの県道や駐車場を見ると、ここは結構高い!
 はるか昔の卯之町と八幡浜町を結ぶ「道」は、ちょうど今の線路辺りだったとか・・・
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 ウロキョロしていたら神事が始まりました。
f0213825_12185645.jpg       祝詞(お迎えして40有余年という祝詞が聞こえました)
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 玉串奉奠の筆頭は、この復興祭を計画実行した若者代表!
f0213825_12321735.jpg    続いて長老、実年皆さんの玉串奉奠。
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       私からの願いごとは、
       もし、この中に独身の若者が居りましたら、出雲の神様の御利益を。

    夫婦岩出雲神社・再興祈願祭 参会者記念写真
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             撮影:冬桜祭~夫婦岩再生プロジェクト  写真提供ありがとうございました。

                  
       神事のあと、一つ年下のバスケ部員だった市議と相談事あり、公園内の東屋で歓談。
       夕方6時からの直会のお誘いも頂いたが
       お神酒で飲酒運転は罰当たりもいいとこなので辞退して次のミッションへ。


 夫婦岩から1,5キロほど山奥へ入った「中津川」へ足を伸ばしました。
11:40 坂本屋メンバーの一人、U建築研究所オーナーに教えてもらったのですが、 
     高名な建築家・松村正恒氏の手がけた<中津川公民館>です。
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 側道からも入館できる設計になっています。
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 地元の朋輩が、「是非見て帰れ」と言った公民館前の護岸ブロックの
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 波模様も松村氏の設計の一部と聞きました。
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    門外漢で専門的なことは判りませんが、
    流れる小川や土手までも建造物の一部として採り入れる松村氏の設計は
    重要文化財に指定された市内日土小学校にも共通する「遊び心」かも・・・
    その「遊び心」こそ、オトコの活力源だと信じてやまない小僧です。
     
    さて、ここまで来ると、小学生の頃、モミジの季節、
    自分の集落から山を越えてチョイチョイ遊びに来たことのある神社が懐かしくて
    さらに集落の奥へアクセルを踏みました。

12:10 秋になると紅葉がきれいだった神社は、相当古くなって・・・と想像していたが、
    なんと近年改築された様子で、ちょっと拍子抜け・・・だったが、
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f0213825_1326447.jpg    ◇神社由縁の看板
 現存する社殿造営の歴史を示す棟札について
 応永35年(1428)若山・大元神社より分身
 宝徳 3年(1451)~延宝 6年(1678) 4枚
 文化 4年(1807)~昭和16年(1941) 8枚
 八幡浜市に残る神社の棟札としては最古のもので
 「村」の形成を示す貴重なものである。
   と、書いてあります。

f0213825_1355341.jpg   ◇社殿に掲示してある由緒沿革
 実は私の姓は「田中」でございまして、
 子供ごころにココへ遊びに来ると
 「ウチのお宮じゃ~」と威張っていた記憶がありますが、
 田中山大元神社の田中が読めたセイかもしれませぬ。

 一瞬思い出したのは、四国霊場第9番法輪寺さんが、
 田んぼの中にあるから田中の法輪寺と呼ばれること。
  


 ガキ大将ながら、この赤橋を見て「かっこええ!」などと思ったことです。
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 セミ取りにくたびれて、大木の陰で昼寝したのはこの木だったかも知れん・・・
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f0213825_1475587.jpg ほとんどが菊地か井上なのだが、
 境内の平成22年改築工事奉賛芳名石碑の中に
 同級生の〇クンや〇〇ちゃんの名前を見つけて
 携帯してみたが繋がらず・・・

 この神社には450年以上続く伝統の「百矢祭」があり、
 そのときにでも連絡しておいて会ってみたい・・・  
by jh5swz | 2016-06-28 08:25 | ふる里双岩村のこと | Comments(1)

平成28年3月29日(火)。
 
 難病を患っていた洟垂れ小僧の頃からの朋輩が逝ってしまった・・・
 村で悪戯をさせたら「天才と秀才」と云われるほどのコンビだった・・・
 線香を手向けに村へ走った。
 
 私の生まれた村は「双岩村」といい、
 村はずれに夫婦が仲良く語り合っているようも見える巨岩があり、
 これを「夫婦岩(みょうといわ)」と呼び、「双岩村」の語源になっています。

 ちょど、今が見ごろの数本の桜が萌輩を見送るように八分咲き。
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 こちらの画像は、 
 汽車通学だったチョイ悪る高校生の冬、
 南の村には珍しい大雪の日、
 蒸気機関車に引かれた三両の列車が「なんだ坂、こんな坂」と登ってくる「お宝写真」。
 この歳になるまで、この一枚の写真にどれほど励まされ元気をもらったことやら。
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 現在生徒数35人になった、1947年創立の双岩中学校は、
来春、町の学校と統合されるという新聞記事(3/31)を読んだ・・・
 お~~~い、同級生みんな、いっぺん「村へ戻ってこんか~~~い」。
by jh5swz | 2016-04-01 16:13 | ふる里双岩村のこと | Comments(0)

平成27年8月9日(日)の日記。

 1ヶ月ほど前、村のお寺の副住職から 
 「お婆さんの66回忌に当たりますが、施餓鬼会卒塔婆法要をされますか?」         
                    (言葉は正確ではないかも・・・)    
 おぼろげながら婆ちゃんの顔を覚えている私、迷わず!
 「ハイ、よろしくお願いいたします」。

 そして炎天下の今日、自宅から約100キロを走行して里帰り。
 親父・お袋亡き今、実家は更地にしてご近所の駐車場に使って貰っており、
お向かいの小母さんにご無沙汰のご挨拶を済ませてから山の上のお寺へ。
 お寺への細い山道は、すでに施餓鬼供養参会者の自動車がびっしりと並び、
かろうじて見つけた空き地へ駐車して、蝉の声を聞きながら本堂へ歩きます。

 我が家の菩提寺は臨済宗東福寺派 東林山禅興寺
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                   2016年3/21 彼岸参りに帰った対面の墓所から撮影
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 すでに満席の本堂で御卒塔婆料を納めて、境内の木陰で開式を待ちます・・・

 「あらっ 信ちゃん!やないかへん?」と、おふくろと仲のよかった近所の小母さん。
 「お~ 信坊!、もんて来たか、誰の回忌ぞ」と、昔から威勢のよかった元青年団長。
 婆ちゃんの66回忌供養であることを話すと、
 「父ちゃんも母ちゃんも信心深かったけんの~」
              耳が痛い・・・
 ほか見覚えのある上級生や、泣かせたかも知れん下級生の顔も見える・・・

 ふと、思った
  「村を忘れるな、ときどき戻ってこい」 と、
  仏さんが施餓鬼供養にことかけて、みんなに会わせてくれとるに違いない!
 
 おふくろ同士が同い年の同級生にも会えた、
 小母さんの七回忌とのこと。
 彼から中学時代に社会科とバスケット部で大変世話になったK先生が
この春に亡くなったことを聞き愕いた・・・86歳だった由。
 今は某市でご健在の奥さんの住所をハガキしてくれるよう頼んだ・・・
 夏休み合宿や遠征試合の度に、「これは力が出るけん」と、
「炒り米」を部員に持たせて貰った奥さんにせめてお供えを送りたいから。


 供養法要式典は五人のお坊さんの読経が30分ほど流れたあと、
寺総代に続いて参列者全員がお焼香をして退堂。
 初盆から100回忌まで総代からそれぞれ卒塔婆を受取りました。
 
 
            境内からのおらが村の眺望。
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           最近またちょっと大きくなった病院に隠れて見晴らしがイマイチだが・・・
           対面の山のふもとの白いビル?が、母校、
           校門まで徒歩30秒、6年間無遅刻皆勤賞!
           小学校の卒業証書は「村立双岩小学校」だったが、
           春休み後の入学式は「市立双岩中学校」だった・・・
           「合併の是非」が村の話題になった記憶は無い、お上の御意のまま、
           終戦復興さなか、食っていくのに一生懸命でソレドコロデハナカッタ? 

 
  お寺から遠くはないお墓に寄ってお線香を灯して卒塔婆を立てて、
   「爺ちゃん、婆ちゃん、暑いな~。
    孫・曾孫、玄孫、一同元気に暮らしとるけん、
     それからなあ、
    ワシ隔世遺伝かなあ~ 爺婆のマネして歩いてお四国参りしたぜ、
    臨済宗の札所が二つあって、爺ちゃん 婆ちゃんを思い出したよ・・・」。

  婆ちゃん、100回忌までは 
       ワシ よう戻らん・・・ おこらえよ~・・・
                              合掌


 8月12日(水)、追記
f0213825_1020063.jpg 禅興寺住職、副住職そろって
 毎年のことながら棚経に来てもらった。
 松山界隈に20軒前後?の檀家があるそうで、
 8月12日が松山棚経の恒例になっている、
 ありがとうございました。

 兄弟三人の家族と
 ウチの長男夫婦・孫が揃って代々の仏を迎えて
 みんなでワイワイ賑やかに昼食をともにした。

 仏さんが家族を呼び寄せた。
    
by jh5swz | 2015-08-10 16:51 | ふる里双岩村のこと | Comments(6)

春彼岸

平成26年 3月16日(

彼岸の入りを前に田舎へ墓参り。
我が家と子供のいない叔父と大阪に住む親戚の三カ所の墓掃除を終えて
墓所近くの菜の花公園へ道草して帰宅。
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          誰もがそうだと思いますが、
          生まれた田舎は、人も山も川も花も みんなイイ!
by jh5swz | 2014-03-16 16:57 | ふる里双岩村のこと | Comments(4)

釜倉のコスモス祭り

平成24年10月21日(日)、
若山の秋祭りで牛鬼とご対面のあと、
もう一つのお目当て釜倉の「コスモス祭り」を楽んで帰りました。


f0213825_18473265.jpg 釜倉の里は、
 旧西宇和郡双岩村(現・八幡浜市)と
 旧東宇和郡岩城村(現・西予市)の
 郡境、笠置峠のふともにある小さな集落。
 里に近い県道には、
 なんと送迎バスの案内看板があり、
 2台の小型バスがピストン運行中。
 7年目を迎えた祭りの定着と盛況が窺えます。

 

予讃線の線路沿い、棚田に秋祭りの幟旗たなびく釜倉の満開のコスモスがお出迎え。
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戸数47戸、人口120人の釜倉をとにかく元気にしたかったと、
フォトコンテスト実行責任者(中学で1年後輩のバスケット部員だった)井上和浩君が語る
棚田のコスモスは深まりゆく秋空に冴えて、将に今が見ごろ。
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    里の農家の協力で稲刈りが終わった水田に咲いた150万本のコスモスの花。

耕運機さえ窮屈な思いで歩むのでは?と、察する棚田の一枚一枚に
小さな子供達の目線に合わせた背丈のコスモスの種類を選び、
稲刈りの終わった順に種を撒いた結果、満開期間が長引いた、とは開催7年目の金メダル!
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            コスモスと書くより秋桜と書き表す方が私は好きなんですが・・・
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山里の秋の風情にいろどりを添える案山子の夫婦。
   「父ちゃん 今年もきれいに咲いたね~~」
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訪れた子供達も案山子の子とすっかりお友達!
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10:18 宇和島09:54発松山行「特急宇和海8号」。
  アンパンマンのラッピングに子供達大喜び
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10:47 宇和島10:03発八幡浜行普通列車。
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 <ひとこと>
   コスモスの向こうを走る列車が撮りたくて時刻表まで調べて行った甲斐があった!
   なお、どちらも予讃線屈指の急坂を下っていますが、上り列車ですから・・・


公民館では、里の人々が手作り弁当や新鮮野菜の産直市。
妹はこちらの買い物が忙しかった様子なり。
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  戸数47戸、人口120人の村おこし!
  「立ち上げるのが大変だった」と和浩君、
  今日までと、これからの継続こそ大仕事。
  頑張って欲しい!
  いろいろ舞台裏の勉強もさせてもらいました、ありがとう。

さて、
釜倉へ来ると、「週刊現代」に掲載された、この3連鉄橋と里家が撮りたくなる私。
ここを走るアンパンマン列車クリック
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       私が撮影した同じ場所が、1年遅れでプロの手で撮影された話は前記事をご覧下さい

その週刊誌の記者さんの釜倉の里の紹介記事を再掲させていただきます。
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           講談社発刊・週刊現代2012・5/12号 巻末【鉄道 お立ち台】記事のママ 

帰り道、里への県道入り口で交通整理に汗を流していた
同級生の勝ちゃん、二つ歳下の健ちゃんと、産直市で買った弁当を食べながら
ご幼少のみぎりのいたずらの数々を語りながら秋の古里を満喫したことでした。

 
by jh5swz | 2012-10-22 21:16 | ふる里双岩村のこと | Comments(4)

双岩村の秋祭り

平成24年10月21日(日)
生まれた双岩村若山の秋祭りに帰りました。

ずいぶん久しぶりに「牛鬼」とご対面。
村の若い勢子の計らいで頭(かしら)がちゃんとカメラ目線でポーズをとってくれました。
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牛鬼の頭を玄関へ突っ込んで、
悪魔祓いをしてくれた懐かしい子供の頃を思い出したことです。

昭和の大合併策で私の村は八幡浜市となりました、
その八幡浜市内の秋祭りに牛鬼はありません・・・

ご他聞に漏れず、村の担き手は少なくなった様子ですが、
早朝から、一軒ずつ門付けしながら村中を周る牛鬼に
畏敬の念と親しみを感じながら
旧西宇和郡双岩村の純朴なDNAが受け継がれていくことを願い
ご祝儀を供えて二拝二拍手一礼!

余談ながら・・・
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 「牛鬼は悪魔祓いをしてくれる」と、
 信じて育った子供の頃の思い出は鮮烈で、
 我が家の玄関には
 自宅を新築したとき、
 村の恩師が作ってくれた
 赤い牛鬼が今もしっかり
 邪気払いよろしく鎮座しております。

 おかげさまで
 貧乏を除けば、
 周りのお人と家族に恵まれて
 幸せな毎日を過ごしております。
by jh5swz | 2012-10-21 18:46 | ふる里双岩村のこと | Comments(3)

私の生まれた双岩村

「週刊現代」は、一週間遅れで前の散髪屋さんから頂いて読ませて貰っているのですが、
今回は驚きました!  (本文は2012・05/28の記) 

毎号の巻末に【鉄道 お立ち台】というカラーページがあり、
鉄道マニアではないのですが、いつも楽しみに目を通す門前の小僧。

第109回には驚きました!
実はココ、私の生まれた村のワンシーンなのです!
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           講談社発刊・週刊現代2012・5/12号 巻末【鉄道 お立ち台】より  撮影/松本英一郎

次の写真は、2010年10月31日、
かって、海の八幡浜と山の宇和町を結ぶ生活道路であり、
その昔、九州からのお遍路が八幡浜港から第43番明石寺を目指した、
双岩村から笠置峠を越えて伊予岩城に至る古道を歩いたとき、
釜倉(かまのくら)のこの里家の佇まいが懐かしくて、私が撮ったひとコマ。
アングルの違いと列車が走っていないことを除けば同じ場所なのです。
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 その3連橋梁を走る「アンパンマン列車」 ←クリック 
  http://www.youtube.com/watch?v=y5HdC_cUGJk
   You Tube  -HAMATAGUCHIさんのチャンネル-より

「週刊現代」記者さんの筆により、村も真に美しく紹介していただき感謝です!
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     講談社発刊・週刊現代2012・5/12号 巻末【鉄道 お立ち台】記事のママ 

チョイ悪(気取り)の汽車通高校生だった頃、
蒸気機関車に牽かれた満員の客車がトンネルに入るたびに煙にむせながら
英単をめくった(まっかなウソかも?)青春を思い出したことでした。
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                              2010・10/31撮影

通学生当時、このホームは通勤・通学生で溢れ、
車掌さんの尻押しなんぞは東京でなくったってタップリ経験できました。

2012・06/11追記
”京都を思わせるような”と嬉しいコメントをお戴いたお方へのオマケ
「週刊現代」に掲載された鉄橋は、正しくは「3連橋梁」と呼ぶのだそうですが、
村の駅を挟んだ八幡浜側には「4連橋梁」があります。
ウチの村は、山の中の、そのまた山の中なのです。
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                       画像は2008・11/29 里帰りのとき撮影
   この4連橋梁には、「戦争遺跡」としての歴史的背景も秘められているそうで、
   大変興味深い記述が、隧道探訪ブログで紹介されていますので是非ご覧下さい。
         ”探訪ブログ”管理人さん、勝手にリンクしました、すみません・・

2012・06/13追記
都のさるやんごとなき乙女から「雪の日もすばらしいのでしょうね」と、コメントを戴き、
その雪景色の中、4連橋梁を渡るSL写真が村の郵便局に飾ってあることを思い出しました。

今日、村へ帰るヤボ用があり、局長のお許しを戴きその原画を借りて帰りました。
汽笛を鳴らし、白煙を吐きながら、真っ白な雪の中を逞しく走る”蒸気機関車”。

門前の小僧ご幼少のみぎり、それが至って当たり前だった村の冬景色、
今となってはお宝画像です。それもモノクロ!
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                       昭和?年?月?日 撮影:中井 徹氏 無断転用お断り
       撮影年月日メモが額縁に貼ってあるのですが、色あせて読めません・・・
       撮影者 中井 徹氏は実家の隣の方であり、今度帰省したら撮影日を聞いてみたい・・・
       それにしても、南の島に降った大雪の日、ジッと蒸気機関車を待った中井氏に最敬礼!

       蒸気機関車と比べてみてもその大きさがご想像頂ける画面中央の巨岩。
       抱き合い語り合っているような大小二つの奇岩を「夫婦岩(みょうといわ)」といい、
       一本の根っこから、これまた夫婦のような二つ幹になった松の木の傍には
       縁結びの出雲大社が迎えてあり、
       村の実年会の方々がお社のお守りをされていると聞き及びます。
         (現在、松の木は枯れてしまい、桜とイチョウに代わっていますが・・・)

       かつて、この巨岩、夫岩の上に
       樹齢百年位のかっこいい松が生えており、景観を一層引き立て、
       県道を行く人の足を必ず止め、目を引いておりました。
       この松を眺めた人の中から誰言うことなく、
       「夫婦岩の松が枯れたら、双岩村がなくなる。」と言い伝えられ、
       双岩にとってそれほど大切なシンボルともなったのでした。

       ところが、その予言は大当たり!
       昭和29年秋の台風で松は倒れ
       昭和30年2月1日八幡浜市と合併し、双岩村も八幡浜市となりました。
      (郷土をみつめて)「ふるさと双岩」八幡浜市 森分 菫(すみれ) 主婦 64才 平成六年一月三日著
            http://futaiwa.web.fc2.com/text/furusatofutaiwa.htm# 双岩村のはじまり
 
                           より引用させていただきました。


       昭和の強制?大合併で一部を三瓶町へ分村、八幡浜市と合併した私の古里は、
       小中学校名と郵便局と駅名にのみ、その村名を留めますが、
       村の名前はこの夫婦岩に因み「双岩(ふたいわ)村」と云いました。

       昭和◇△年、大阪へ就職して以来、私の自己紹介は
       今では無くなった「西宇和郡双岩村生まれ」が常套句なのです。


        週刊現代の1枚の写真に端を発した村の思い出は、折に触れて書き綴ってみたい・・・
by jh5swz | 2012-06-13 21:25 | ふる里双岩村のこと | Comments(6)