花遍路十人十色
2017年 04月 16日
坂本屋当番日記
雛祭り以来の坂本屋出仕。
昨夕、電話があり、第1班当番のうち、
仏事、体調不調で2名欠席、転勤で1名退出、
転勤されたKさん、思い出したら遊びにきてや・・・
「ヘタすると一人当番の惧れあり」とのこと・・・
07:50 「一人当番の惧れ」の緊張もあって、やや早めに自宅発。
くじら石傍のお大師っさん、お花見は堪能なさいましたか?
08:35 坂本屋現着。
自宅からここまでにスレ違った歩きお遍路さん九人、忙しい予感。
折りから、おしどりお遍路さんが軒下の縁台で休憩中、
奈良のお生まれで江戸暮らし、
「実は二巡目遍路で、前回も坂本屋さんは閉まっていました、中を拝見できますか?」
急いで玄関を開けて、囲炉裏部屋でお茶飲みながらお話しが弾みました。
08:56 第51番石手寺さんまで巡拝予定とのことでご出発。
いいなあ~おしどりお遍路さん。
見送ったあと、湯を沸かしながら幟を立ててお接待設営。
峠側(正面奥)のソメイヨシノも葉桜風情・・・
09:50 ひと休みされた大阪さん、白桃の花に見送られてご出立。
「頑張って51番さんまで歩きたい」。
「今からなら何とか お納経時間に間に合うと思いますよ、ご安全に!」
谷向こうの山桜が今日「十八娘」(むすめざかり) と読んでやってください。
彼女もとても美形です!
09:55 「あんた一人当番みたいなんで、昼まで囲炉裏番に来た」と長老。
たとえ午前中でも嬉しい、心丈夫、ホッとしました、
自家製、高級みかん”せとか”の差し入れもありがとうございました。
10:10 大阪さんと松山さんが4・5分ずれてご到着。
聞けば松山さんは地元の大学生で今夕第51番で「結願」なのだそうだ。
盛大に拍手を贈って、残り21㌔だからこそ道中の安全を祈りました。
「石手寺さんで彼女や悪友連が紙吹雪でお迎えかな?」
「ないない、それはナイ!」、と頑張るところが、反ってありそうな匂い^.^
「これが終わったら次ぎは何をしようかと悩んでいます」。
「遊べ 遊べ 今の内に! 卒業したら親孝行せないかんけん!」と私。
門前の小僧の名刺に印刷した私の遍路モットー
「健康・観光ちょっと信仰で遍路」が気に入ってもらった様子。
10:15 「おお~やっぱりココにおったか」と、江戸さんが合流してしばらく話しが弾む。
お三方のお遍路談義を聞いたところによると
どうやら、阿波~土佐~伊予の道中でいつも必ず三人ではないが、
それぞれが、はるか前方を歩いたり、追い越したり、追い越されたり、
たまたま、ある町や村の民宿が同宿だったりetc・・・
ここまで歩き遍路の醍醐味を味わい尽くされた「へんろ友達」のご様子。
11:50 「ほんなら、ワシ帰るけん、あとよろしゅう、囲炉裏火は消しといた」と、長老下山。
ありがとうございました、助かりました。
さて、昼過ぎの45番岩屋寺さんスタート組に備えて持参のにぎりめし昼食。
インスタントではあるが「蟹みそ汁」も美味!
ところが、午後は静か・・・
一階板の間をちょっと片付けたり、トイレの花代えたり水洗用水補給したり・・・
それでもヒマなので、坂本屋の納屋の前の葉桜観察。
葉桜越しの三坂峠の緑が萌えています。
正面奥の山、中腹の山桜を思いっきりズームってみた、満開!
13:40 松山から二人連れの高貴高齢者、ご来駕。
「ここが有名な坂本屋かえ」、
「そんなに有名ではないですが」
「ようテレビに出ようろうゲ」
「あ~そう言われればそうかも、まっ、お茶をいっぱいどうぞ」
「遍路じゃないが、わしらにもお接待かえ~すまんのお~」
近ごろ、ちょいちょいお見えなる坂本屋見学? 有名にはまいった・・・
14:00 長珍屋さんお泊り予定の姫路さん、ひと休み。
お宿へ荷物預けて46番浄瑠璃寺さん、47番八坂寺さんをお参りされて
長珍屋さんへ帰られると、ちょうどお風呂が沸いてる時間になりますから(笑)。
14:15 姫路さんご出発。白桃の花が「道中 お気をつけて」とお見送り。
14:55 その後、岩屋寺さん組の下山もないので、湯沸し電源切って戸締り施錠。
車のエンジンかけてバックミラーを見たらお遍路さんが一人・・・・
私には、定刻5分前に施錠した負い目がある。
「すいません、遍路茶屋・坂本屋の今日の当番の者です、
火を消して熱い湯を流してしまいました、冷むぎ茶お飲みになりますか?」
「いえいえ、お気持ちとお言葉、ありがたくご馳走になりました」。
オーム返しに返ってきたご挨拶に二の句が告げなかった門前の小僧・・・
「かなり膝に来てるようにお見受けします、
歩きお遍路さんに失礼ですが、浄瑠璃寺へ下りますけどお乗りになりますか?」
「ありがとうございます、久万高原町からバスで下る予定でしたが、
土・日ダイヤで都合のよい便がなくて、お大師様が歩け!と仰ってる気がしますので
頑張って歩いてみます、ご親切なお気持ちありがとうございます」。
「出すぎたことを申しました、ではこの先、お気をつけて歩いて下さい」・・・
坂本屋への出仕道中私が一番好きな榎橋の桜も葉桜ながら今年の枝ぶりもお見事!
この眺めが、先ほどのお遍路さんの膝に効けばいいのだがなあ~
15:30 帰宅。
あの閉館直後のお遍路さん、いったいどちら様?
語彙が豊かで上品な奥方でござった・・・
<坂本屋からお知らせとお断り>
4月23日(日)は、坂本屋運営委員会総会のため、お接待をお休みさせていただきます。
友達の山荘で花見2017
2017年 04月 11日
平成29年4月9日(日)の日記。
所有の山小屋花見に誘われて、美味しい話しにホイホイ乗った。
女房が冷蔵庫から彼用のお花見バージョン缶ビール6個と
私専用のノンアルコール1缶を積み込み
途中、某スーパーで花見弁当を買って近郊の山へ走った。
と、書きかけていたら「住所・コールサイン・顔出しOK」とメールが入った。
ではではお言葉に甘えて、まず現地アクセスイラスト。
佐古ダムに注ぐ小川をどんどん登り詰めた小さな山里の終点が第一山荘。
下の駐車場から10mほど石段と鉄骨階段を登ればデッキ、反対側に玄関。
20年ほど前、彼はこの斜面を購入、
以来、休日を利用して(鉄骨部分を除く)殆んどの建築を奥さんと二人でコツコツとやってのけた。
私はタマに押しかけて弁当食べて現場応援団+遊ぶだけ・・・
そのトンカチ トンカチと建築に夢中の頃の思い出
まだ谷側の鉄骨階段がない・・・
2017年春:山小屋オーナーのJA5ILO & JA5NAB夫妻、
NABさんが運転OKなのでILOは早速差し入れ?のお花見バージョン缶ビールをプシュッ!
私はノンアルコール一缶をプシュッ!
「SWZ!」、「ILO」と呼んで応えて、あれこれ積もる話しが満開!
因みに、電波局から付与された呼出符号で開局キャリアーが解るシステムになっており、
JH5がJA5をILO!とは、本当は下剋上な話しであるのだが・・・
私はJH5SWZ、女房はJR5ERC、みんな世界に通用する自分の呼出符号に限りない愛着を持っています。
デッキから春夏秋冬の裏山を借景したこの額縁窓が私は大好きなのです。
イカリソウの花が咲いていたのだが、
主人がお茶に飲んでしまったか?
今日はモヤっており、落葉樹越しの駐車場の満開の桜が墨絵の如くなりけり。
不肖JH5SWZも猫の額ほど開墾を手伝った?(のか邪魔をしたのか定かでない)
ご褒美に記念のサクラ数本を植えさせてもらった。
ILO曰く、その「SWZお手植えの桜」が立派に成長して今日は満開だと云う。
行こうではないか! しばらく見ることのなかった「お手植え桜」をぜひ愛でたい。
第一山荘下の里道から私のクルマで出発
数分で到着した里道の車寄せから見た2000坪の第二山荘全景(左・白い屋根)。
車寄せから あぜ道下って
山荘入り口から車寄せを振り返るとこんな感じです
「陽当たりが好くて一番元気に育った」と褒めてもらった二本の「SWZお手植えの桜」と山荘。
オーナーは「山小屋と呼べ」と云うのだが、ここまでの苦労を知るだけだけに「小屋」とは呼べない。
昨夜来の霧雨に濡れて胴吹桜は見事な「十八娘」ぶり。
たこ焼き屋さんが並んで赤いぼんぼり提灯が揺れる公園に咲くのも桜だが、
やはり山に咲け大和花かな。
2003年冬某月某日、
「今日は山へ入る人が多いなあ~」と思っていたら、
「県警のものですが」と私服の皆様。
「四国山脈一帯の〇〇教残党の捜査中なのですが」、
当時世間を騒がせた毒ガス事件の残党狩りだとか、
「えっ!」、なんのことはない山小屋に隠れ住んで
よからぬことを企てている一味と間違われた事件。
今なら、私はさしずめ「共謀罪容疑」か。
山荘の広い庭に立つオーナーには一本一本の木々に思い出と深い思い入れがあるようです。
有って当然です、無くてはいけません。
2003年冬?敷地を購入直後、
どうなるのだろう?と思ったSWZでしたが、
切り開いた斜面に基礎を打ち、
市内自宅で切り削った建材を里道の車寄せまで搬送、
さらにに敷地まで担ぎ込み、
時々、邪魔にならんように昼飯を食べに来てみると、
トントンと釘を打つ音が里山に響いていたものです。
山荘には台所もちゃんと設備されており、デッキから満開の桜を眺めながらお茶をいっぷく。
飲み水は山から引いた湧き水を三段階の浄化装置を経て台所と前庭の流しに通水しています。
この水がまた美味い!
開拓?当初やっかいに見えた大岩も趣き深いものです。
6畳の囲炉裏部屋まである山荘全景、この季節何処に立っても桜が見えます。
山が萌える今からの季節、360度新緑が素晴らしいのです。
だらだらと長居は無用・・・
午後2時から総会を控えた坂本屋の役員会があり、SWZ・ERC退山。
振り返って今一度、ILO・NABと「お手植え桜」に88&73。
(補足)
88&73とは、
電信で「さようなら」を打電するとき、女性には88、男性には73を送信して交信を終わります。
坂本屋のひな祭り 2017
2017年 04月 04日
坂本屋のひな祭り。
今年は2日間とも(珍しく)当番でなかったのですが、
今日は知り合いのお遍路さんや
お世話になっているお先達さんグループが
三坂峠を下ってひと休みされる予定なので、
07:45 自宅発。
08:07 登り下りのお遍路さんの道中安全を願って番外網掛け大師さんをお参り。
まだ花冷えの朝です・・・
08:20 坂本屋現着、すでに当番のスタッフが準備万端整えて「さあ~いらっしゃいお遍路さん!」
春遍路さん待ちの坂本屋一階昭和雛。
ほどなく久万高原町前泊の舞鶴さんがひと休み。
ぜんざいと名物・坂本屋の草餅と大判焼き。
なのですが、
まだぜんざい餅が焼けてないので
到着したばかりの草餅&大判焼きに熱いお茶、
ささやかと云えば
あまりにも さ さ や か・・・
⇔ 舞鶴さんの撮影画像を借用、提供感謝
08:50 51番石手寺さんまで歩かれる計画の舞鶴さんご出立。
道中 ご安全に!
09:46 いつもお世話になっているお先達さんの「第1回ARuKuへんろ」皆さんご到着、
「こごめ桜」を屏風に皆さまそろい踏み。
早速、離れ座敷でぜんざいと大判焼きでおもてなし。
一緒に歩かれる予定だった47番八坂寺ご住職のお出迎えを受けて、
近所のパソコン塾のお知り合い、皆さま、和気藹々のひととき。
一階の昭和雛
二階の享保雛
三坂峠から旧土佐街道を下ること数キロ、今でも歩きお遍路さんが絶えない山里の、
その道沿いに江戸末期から昭和初期まで続いた遍路宿「坂本屋」がありました。
が、向かいの山に新国道が開通して宿を廃業、長い間空き家廃屋同然となりました。
十数年前、廃屋同然のこの宿をお遍路接待所として甦らそうとした人々が居ました。
遍路宿の修復作業の最中、埃まみれの押入れの箱から立派な享保雛一対が現れました。
これがTV「開運なんでも鑑定団」に出してみたくなるような坂本屋のお宝なのです。
享保雛が納められていた箱書きには文久三年(1863年)の文字が読み取れると聞きました。
文久三年がこの一対が作られた年なのか、所有者が買い求めた年なのか定かではないが、
察するに少なくとも154年前の美男美女。
この一対を大切に保存してあげることは、この内裏雛に対する仁義ではなかろうか・・・
豪華でもなく絢爛でもなし
里山の雛祭り
借りて来てまで数を競わず
10:40 ご出立前、皆さまの記念撮影を横から盗撮した小僧(はイケズです)。
私の後ろに立たれた八坂寺ご住職までお納経されて緊張した小僧でした。
旧土佐街道の動力だった牛馬の霊を祀る古い馬頭観音をご案内方々つづら坂下までお見送り。
讃州高松松嶋 吉野屋平助墓↓
このあと網掛け大師堂から46番浄瑠璃寺・47番八坂寺さんを目指される皆さんとお別れ。
歩いて登ってみてと判る「逆打ちお遍路さん」の苦労・・・
標高320m、「辿り着いた!」と思ってもらえる坂本屋でありたいと実感。
自宅から移植した「諸葛菜」咲いて
春に浮かれて・・・ 私が門前の小僧です(坂本屋スタッフが撮ってくれました)
11:10 韓国から28人の団体お遍路さん? or ウオーキング隊の皆さんでした。
バラバラと下って来て、思い思いに一休みして、バラバラとご出立されました。
この間、一人、また二人・三人とお遍路さんが絶えることなくひと休み。
親子5人連れで「享保雛見物」にきてもらったファミリー皆さんありがとう。
久万高原町「遍路宿・桃李庵」の親父さん、ようこそ!
11:58 腹時計に合わせてスタッフの賄い昼食、これがまた豪華絢爛!
囲炉裏火でシシ鍋
ハガマ炊き献上窪野米のにぎりめしにクチナシ色のたくわん。
そうそう、シシのモモ焼肉もおいしゅうございまいした。
悪事の限りを尽くした坂本のイノシシ殿、お命頂戴仕り候、
貴殿もこのような形で罪滅ぼしを経て、三途の河原を渡れば極楽浄土まちがいなし、合掌・・・
さてさて、今日中に片付けておきたい団体の事務もあり、満腹になったところでUターン。
ちょっと八坂寺さんにお願いがあって寄り道参拝。
ちょうど、午前中ひと休みされた「ARuKuへんろ」ご一行が本堂内陣で
ご住職の法楽太鼓にあわせて般若心経お納経中、めったに聞けないので堂内で暫し拝聴、合掌。
お願い事とは、このチラシをもらうこと^.^
(昨年の大祭のハイライトシーン)
ここ数年、毎年参拝するのですが、大変盛大なお祭りです。
いつもの「徳島やんちゃ連」皆さんの奉納阿波踊りや
今年は、今人気沸騰の「キッサコ ライブ」と多彩なイベントも多いに楽しみにしている門前の小僧です。
4月29日には。皆さまも是非どうぞ!
4月23日(日)は平成29年坂本屋運営委員会総会のため、お接待をお休みさせて頂きます。
母校 双岩中学校の閉校式 2017
2017年 03月 29日
生まれ育った村の中学校が、
時代の流れか少子化社会の行き着くところなのか創立70年の歴史に幕を降ろすことになった。
主催者から閉校式典後の「お別れ会」で卒業生として、 ”ひと言語れ” との命令を受けて帰郷。
そうか、自分はもう「語り部」の歳なのか・・・
双岩中学校卒業生2401名皆様へ
母校の閉校式の報告書をお届けします。
双岩村は現在は合併して八幡浜市内ですが、
かって西宇和郡双岩村だった頃から村のランドマークは
何と云っても大小二つの奇岩がそそり立つ「夫婦岩(みょうといわ)」。
根は一つだが幹が二本の大松ともども双岩村の起源と聞いて育ちました。
現在、大松は枯れて見る事ができないのは残念です・・・
汽車通生だった高校時代、
いつも満員の客車三両を引いて
予讃線屈指の勾配を登る機関車の勇姿は、今日までの私のパワーの源でした。
現在は気動車です・・・
校舎と人文字の記録。
自分達の卒業記念にセスナ機から撮った人文字写真、
飛んできた小型プロペラ機にちょっと興奮した私 ^0^
今は見ることもできませんが、いい校舎でした・・・
映画館顔負けの映写室までありましたが、すべてが中途半端な建造物でした。
昭和63年、体育館(画面右中央)が建設されました。
平成2年(1990)新校舎が建設され木造校舎と公民館を兼ねた体育館を解体。
画面右に立派な新校舎と体育館が並びます。
新校舎の裏山側には団地が造成され真新しい家が立ち並んでいます、
現在、実家跡はご近所さんに駐車場として使ってもらっています。
校門からみると、校舎裏の立派な体育館は見えない・・・
(余談ながら、自分達の頃には各学年45名前後の生徒数でした)
閉校式プログラムより
当日は校舎見学フリーモードだったので初めて各教室をくまなく見学、
自分達の時代には考えられないような充実した素晴らしい設備でした。
教室からみた「双岩村若山」の眺めはとてもよろしゅうございました!
式典は市長・教育長・学校長・PTA会長等のお歴々に続き
生徒代表挨拶と、定番どおりのプログラムが粛々と進行されました。
校旗返納
学校がなくなっても村のシンボルとして校旗だけは
公民館で管理するとか、双岩小学校で数々の賞状や
トロフィー共々保管することは不可能だろうか?
2402名の卒業生が機会ある毎に見ることができる
道筋を考えて欲しいと思うのは私だけでしょうか?
村の人々が子供達に良かれと決めた閉校ですが、
本当は寂しくて仕方がないのですから・・・
校旗返納に続いて全生徒42名にる最後の校歌斉唱があった。
自分達の時代には校歌なんぞは無く、最初で最後の校歌を聞いた、涙が出た・・・
アップテンポのこ洒落たリズムに乗せたイイ校歌でした。
式典のあと、最後の在校生の手で校門入口で記念碑が除幕されました、
南海トラフ地震津波に備えて中学校跡地へ移転したいとかで
格安の坪単価?で売却が決まり、
この記念碑は村の交流施設として残った校舎の中庭へ移設されました。
2019・6/21追記
父兄・来賓を交え総勢300人の「お別れ会」が始まりました。
開会挨拶と全生徒の「ふるさと」合唱に続いて、
卒業生を代表して70年の歴史と思い出を7,8分しゃべれとは酷!
村立双岩小学校へ入学し
市立双岩中学校を卒業した学び舎の思い出を織り交ぜて、
最後の卒業生と春から町の学校へ通学する在校生にエールを送って任務を完遂。
多分10分くらい費やした・・・ やれやれ 疲れたビ!
懇親会では、
「知らない時代の貴重なお話しをありがとう」とか、
ご来賓から
「立派なメッセージでした、感動しました」と持ち上げられたりして、
「原稿つくりに苦労しました」とも言えず、作り笑顔で「措辞でした」
と、ポツリ・・・
自分は長男だったので、今も「兄貴、兄貴」と慕う近所の元教師や
在校当時、苦手だった英語の先生、バスケット部後輩だった市議等々、
先輩後輩と懇親を尽くしたが、クルマがあるのでウーロン茶では残念至極なり。
主催者から戴いた立派な記念アルバム誌です。
帰り道、学校から2キロほど走った「夫婦岩」へやっぱり立ち寄りました。
春夏秋暮の墓参りのとき必ず立ち寄る見る夫婦岩ですが、
いつもと違って、なんだか切ない当日の眺めでした・・・
双岩小学校とJR双岩駅、双岩郵便局と農協支所?だけになりましたが、
双岩村所縁の人々の胸の中にはしっかり語り継がれるに違いありません。
ありがとう 夫婦岩、
ありがとう 母校双岩中学校!
春時雨 坂本屋 JA4・・・との出会い
2017年 03月 27日
坂本屋当番日記。
ちょっとスケジュールめじろ押しで三日遅れの坂本屋日記。
08:05 寒い朝、
いつものように湯が沸くまで用の熱い茶をポットに入れて、
買っておいたお接待用の「坊ちゃん団子」と
私の山賊にぎりめしなどを積み込んで女房殿の見送り受けて自宅出発。
08:10 第48番西林寺さん、本堂・大師堂一礼駆け足参り。
曇天ながら、朝から自家用車お遍路さんの多いこと!
08:25 窪野町ふもとから三坂峠(左奥、一番低い所)遠望、今にも降りそうな雲行き・・・
08:40 坂本屋着、一人のお遍路さんが離れの軒下でご出立準備中、
「熱いお茶でも飲んで行かれませんか?」とお声がけしたら、
「今日は門前の小僧さん当番ではないでしょうか?」
「あの~ワタシですけど、どなた様でしたでしょう?」
「実は、8時40分まで待って当番の方が見えなかったら、
戸袋へ差し込んで出発しようと思っていました・・・」
と差し出された納め札の裏書。
なんとアマチュア無線の大先輩局長さんではございませんか!
(アマ無線界ではJA4とJH5では横綱と十両みたいものなのです)
用意して来た「坊ちゃん団子」と熱いお茶で遍路とアマ無線談笑。
08:57 さりとて、この先長旅のお遍路さんに長話しはご迷惑かと・・・、
雨戸を開けて遍路茶屋・坂本屋を覗いてもらって、三坂峠目指してご出発をお見送り。
区切り打ちの由、どうぞ計画どおりこの先も道中ご安全に!
(帰宅後調べてみて交信記録こそなかったが、ハムの心つながりに感激の出会いでした)FYB
09:00 今朝の寒いこと!
背景に桜、白衣にへんろ笠、金剛杖ついて
愛媛県のイメージキャラ・みきゃんはすっかりお遍路さん。
「ごもっとも!、地元でも今朝の寒さにはビックリです」。
10:50 ご出立、仲良きことは美しきこと。
(おいおい、聞いたことのあるセリフだぜい)
北海道さんとの談笑さなか、
坂本屋のマドンナさんが雛祭りに備えて二階の障子の張替えにご登城。
この日ばかりは指突っ込んで
バリバリ破って叱られんかった障子張替えの朝だったなあ~。
11:20 気が付けば、2階の障子はお見事春化粧!
♪春がきて~ 君はきれいになった~
昨日より ずっと きれいになった~♪
12:00 当番三人、囲炉裏火囲んで、それぞれ持参の山賊むすび昼飯。
坂本屋の貴重な戦力であった坂本小学校の先生二人が転任らしい、
内、一人は我が第1班の方であって、困った 困った・・・
「大丈夫ですよ、後任者もキット運営委員会に入ってくれますよ」、
とは言っては貰うが、相手のあることで下駄を履くまで判らない・・・
囲炉裏火眺めながら、
なんとも意気のあがらない話しになって寒い 寒い・・・
12:40 三人連れのお遍路さん。
お一人は京都のお遍路さんで、
峠で地元の人から「ふもとまで連れて行ってあげてよ」と
頼まれたとおっしゃる二人は独国のカップルお遍路さん。
「ニホン語がまったくダメで話しがかみ合わないんだ・・・」と。
それでも、「ヒヤー イズ オヘンロ サービスセンター」と京都さん。
三人ともまだ昼食されてないようなので、なんとか身振り手振り国際語で
当番三人の残しておいた「にぎりめし」をお接待することになった。
定番のカンペはなんとか通じて笑顔でグーのサイン、サンキュ!
だんだん打ち解けて?笑顔、器用に箸を使ってにぎりめしを完食。
挨拶やサヨナラなど少しばかりの外国語を覚えても
聞く耳が着いていけないでしょ・・・
身振り手振り語も味わい深いものですよ!
「ソレ英会話出来ない人の勝手な理屈でしょ!」
やっぱり、あなた、
そうおっしゃいますか、Hi
13:24 春時雨の中、日独友好親善お遍路さんご出発、
京都さん、お疲れでございましょうが、ふもとまで道案内およろしく。
14:20 町から83歳の同級生と仰るおばちゃん二人が軽四で坂本屋見物、
「お雛さんはどこぞな?」
そうでしたか、お目当ては「享保雛」でしたか。
4月1・2日にご披露います、
数を競わず、豪華絢爛でもございませんが、
坂本屋のお宝が並びますので是非お越し下さい。
「おばちゃん、軽四の運転気をつけて坂道下ってよ」。
「来た道じゃけん、大丈夫よ」。
直前、自宅へのみやげに前の畑で花泥棒。
「こごめ桜」にしょうか「椿」にしようか、獲物を前に泥棒が迷ったほどの競艶ぶり。
卒業生を代表して式典会場で「思い出」を一席語れ!って、